意思と足――「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」18話レビュー&感想

©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
さだめに抗う「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」。18話、F・Fとケンゾーの戦いはなんともえげつない結末を迎える。暗殺風水を極めた男、ケンゾーの末路は何を示しているのだろう?
 
 
プッチ神父に送り込まれたケンゾー VS F・F(フー・ファイターズ)の戦いが始まった。ケンゾーのスタンド『ドラゴンズ・ドリーム』の能力がわからず、一方的に攻撃を受けるF・F。戦うにつれ生命線の水分が、少しずつ削られていることに気が付いた徐倫は、アナスイに助けを求めるも断られてしまう。『ドラゴンズ・ドリーム』の突破口を見つけたF・Fは戦いに必要な水分の補給を試みるも……
 

1.人間・ケンゾー

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厳正懲罰房棟で徐倫達に襲いかかった刺客の一人、ケンゾー。対峙したF・F(フー・ファイターズ)の苦戦からも分かるようにその強さは強烈だ。スタンド能力『ドラゴンズ・ドリーム』によって占った吉凶の方角に従うことで彼の攻撃と防御には常に偶然が伴い、相手は思わぬ形で邪魔を受け失敗し続けることになる。ケンゾーと戦う者は運命との戦いを余儀なくされる、と言ってもいいだろう。だが今回の話からは、彼がけして運命を操る神のような存在ではないことも見えてくる。
 

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ケンゾー「なにぃ!? 戻ってこい、ドラゴン!」
 
この18話冒頭、ケンゾーは思わぬ反撃を食らう。前回のラストで仕留めたと思っていたF・Fが生存しており、安全な方角を占っていなかった彼は相手の放った銃弾を全て回避することはできなかったのだ。F・Fの正体が囚人エートロの体を操るプランクトンとは知らなかった以上油断するのは無理もないが、彼が運命を味方につけられるのはあくまで方角を占っている時だけに過ぎない。錯誤が生じれば、彼は78歳にしては動きにキレのある老人に過ぎない。
 

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ケンゾー「栄光……栄光だったんじゃ。40年前ワシは輝いておったんじゃ!」
 
またケンゾーは40年前は新興宗教の教祖だった男でありスタンド能力で再び崇められる夢を持っているが、考えてみればこれは奇妙な話だ。教祖とは救済した者達の敬慕を受けて「なる」のであって「目指す」ものではない。かつて彼が唱えた宗教がどんな内容だったかは語られていないが、つまり今のケンゾーには崇められること自体が大切で教義は問題ではないのだろう。救済ではなく崇拝を目的とした彼は、教祖の復活を叫ぶ度にむしろ自分のカリスマ性を損ない俗物ぶりをさらけ出している。
 
前回はプランクトンから生まれた新生命であるF・Fがその特性を活かせず、普通の人間同様のやり方を強いられる回であった。しかしこれは今回のケンゾーも同様で、敵としては珍しい老齢や運を味方につけるスタンド能力から独特な存在感を放っていた彼もやはり普通の人間、俗な人間でしかないのだ。
 
 

2.鏡の反撃

人間ではないが人間同様の戦いを強いられたF・Fと、人知を超えた力を操るがやはり人間のケンゾー。両者の関係は対照的であり、それはF・Fが懸ける勝機からも覗き見ることができる。
 

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F・F(空中に鏡があれば、あのドラゴンを鏡に映してあのジジイに安全と違う方角を錯覚させることができれば、あのケンゾーをぶっ叩くチャンスが生まれる!)
 
F・Fが見つけた勝機とは、自分の能力で操った水にドラゴンズ・ドリームを映しケンゾーに方角を誤認させること。対照的な存在を映し出す"鏡"を作ることであった。彼女の策が功を奏するのは発案から少し時間が経ってからだが、鏡が単なる光の反射ではなく象徴であるなら出番はそこだけに限らない。逆のもの、対照を示す場面は全て"鏡"だ。
 

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ドラゴンズ・ドリーム「自分から!?」
 
例えばケンゾーのドラゴンズ・ドリームはそれに触れたケンゾーや敵の体を吸い込み、敵の大凶の方角から出現させて攻撃する特性を持っているが、F・Fはそれを避けるのではなくむしろ利用した。敢えて両腕を吸い込ませて体を細くし、それによって消化放水用のホースに潜り込んでプランクトンの自分に必要な水を確保しようとした。この時、彼女は大凶に逆に活路を見出している。
 

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F・F「これでいい。大凶をてめーに分けてやれれば……!」
 
また上述した試みは現れた自分の腕によって失敗し、F・Fは懲罰房棟地下の電気処刑椅子に<運命的>にくくりつけられる危機に陥るが、彼女はこれまたその大凶を逆手に取る。ケンゾーの汗から作った鏡によって彼に安全な方角を見誤らせ、その腕を掴んで一緒に感電させる――自分の大凶を相手に分けるこの攻撃は、使用したもの以前に発想そのものが"鏡"だ。
 
禍福は糾える縄の如し、と言う。心の持ちようで不幸も幸運に変わる……などと言えば傲慢だが、吉凶が絶対的に区分されているわけでもない。人は損得だけで行動するわけではないし、本作5部の台詞にあるように学びは成功よりも失敗から生まれることの多いものだ。大凶の方角を踏んだからといって、その全てが無意味になるわけではない。F・Fがケンゾーに行った反撃とは単なる命のやり取りではなく、「吉と凶があれば吉を選ぶのが正解」だという固定観念への反撃であった。
 
 

3.意思と足

このケンゾー戦は彼とF・Fの戦いだが、二人だけで決着がつくわけではない。先の感電攻撃はケンゾーを絶命させるには至らず、最後の一撃は徐倫の仲間の一人であるアナスイが加えている。だがこれはトドメに過ぎず、F・Fがケンゾーに勝てなかったことを意味しない。
 

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ドラゴンズ・ドリーム「アンタの腕だ。暗殺風水の開始だ……!」
 
これまでの戦いで示されているように、ケンゾーの強さの秘密はドラゴンズ・ドリームによって吉凶の方角を占える点にあった。自分の安全な方角にいればどんな攻撃も当たることはないし、逆に敵の大凶の方角から攻め込めば事象の全ては自分に味方してくれる。ちっぽけな人間の限界を超越したこのようなスタンドが発現すれば、教祖へ返り咲けるとケンゾーが夢を見るのも無理はないだろう。だが、それは本当に教祖にふさわしい力だろうか?
 

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ドラゴンズ・ドリーム「映ってる俺をアンタが見てるってことはよー、そこは全然安全な方角じゃあねえ!」
 
冒頭、倒したと思ったF・Fからの反撃されたケンゾーはこれを反省し「二度と安全な方角から足を踏み外さない」と語っている。だが考えてみればこれはキリがない話だ。人を脅かす危険は現代でもそこらにあふれているもので、全てを回避しようと思えばその度に吉凶の方角を占わなければならなくなる。究極的には全ての移動はドラゴンズ・ドリームの導きに従うことになり、彼は自らの意思に基づいて動くことはなくなってしまうだろう。「吉と凶があれば吉を選ぶのが正解」としか考えないなら人間の自我にもはや価値はなく、畢竟それは強者や多数に迎合して思考や価値観を変える事大主義とも大差ない。ケンゾーはドラゴンズ・ドリームによって運命を乗りこなす超越者になったつもりでいるが、その実態はむしろ運命の牢獄に囚われた囚人*1に堕している。彼は暗殺風水を極めた自分は釈迦と並ぶ聖人として歴史に名を残すと豪語するが、大半の宗教家はこれを聞けば一笑に付すことだろう。
 

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ドラゴンズ・ドリーム「完璧なる暗殺風水を封じるのは相打ちだけだ。F・Fはこのために覚悟を決めたんだ!」
 
ケンゾーを打ち破るには、彼の囚われた牢から脱獄するには、吉凶を超えた意思を示さねばならない。吉凶の区分を破壊しなければならない。損得や合理に囚われず、凶であろうと敢えてそれを掴み取るところに魂の価値はあるものだ。知性あるプランクトンとして誕生したF・Fが示した吉凶の固定概念への反撃は、人でありながら思考を放棄したケンゾーを撃破するに十分なカウンターだったのである。この時、F・Fとケンゾーの戦いは既に決着していた。
 

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ケンゾー「なんじゃぁこれは――ッ!!」
 
暗殺風水を極め吉凶を知り尽くしたはずのケンゾーはしかし、徐倫にその力を利用されF・Fを救われてしまった挙げ句、アナスイのスタンド「ダイバー・ダウン」で体を作り変えられるという悲惨な末路を迎える。肉と骨のサスペンションに改造された下半身が跳び回るのを止められない彼の姿は反応に困るほど凄惨だが、これは必ずしも単なる悪趣味ではない。風水の方角に従って動いていた彼はもともと、自分の意思ではなく風水のスプリングで跳び回っていたも同然だからだ。ある意味、ケンゾーは自分の生き様に相応しい肉体を手にしたのだとも言える。
 

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ドラゴンズ・ドリーム「安全方角は寅の方位でラッキーカラーはセルリアンブルー……なんだけどさあ。もう無理だろう。なんかさあすごく歳取ったなあ、たった数分の戦いで」
 
どれほど高度に発達した技術や理論を習得しようと、それを盲信した時点で人は人たる所以を失う。暗殺風水なぞ使えなくとも、私達は常にもう一人のケンゾーになる危険と隣合わせで生きているのだ。
 
 

感想

というわけでアニメ版ストーンオーシャンの18話レビューでした。連載時もケンゾーが最後に受けた仕打ちにはどう反応していいのか困ったのですが、ようやく自分なりに納得できました。いやまあ、それでもやっぱりえげつないけど。
徐倫もF・Fも体を張りまくっていて、見ているこっちが辛いくらいの話でした。当面はこういう部分は覚悟しておかないと……
 
 

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*1:5部になぞらえるなら、自覚的に運命に従う"眠らぬ奴隷"と言えるだろうか