模倣の魔術――「魔法使いの嫁 SEASON2」4話レビュー&感想

不在と遍在の「魔法使いの嫁 SEASON2」。4話ではチセがエリアスの師の師に当たるラハブと出会う。あらゆる時間や場所との繋がりが不確かなそこには、遠い昔の"学校"があった。
 
 

魔法使いの嫁 SEASON2 第4話「The cowl does not make the monk.」

不意に誘われた霧の中。
待ち受けていたのは、謎めいた婦女・ラハブとの邂逅だった。
チセの胸元に光る翡翠の色を見て、彼女は過ぎし日を語り始める。
人の形をなぞる日々が、人為らざる者にもたらしたものとは。

公式サイトあらすじより)

 

1.教師失格?

ラハブ「似てる? 誰に」
チセ「リンデルさんとエリアスに」

 

友人ステラと歩いているさなか、霧に包まれ謎の小島に迷い込んだチセ。それは彼女が魔法使いエリアスのループタイを身に着けていたためであり、チセは自分を呼んだラハブという女性がエリアスの師匠リンデルの更に師匠であることを知る。ラハブの家に招かれた彼女はかつてラハブと共に過ごしていた時期のエリアスについて聞かされるが、着目したいのがこの台詞だ。
 
ラハブ「あはは……だけど私は笑うことすら教えられなかった、教師のなり損ないなんだよ」
 
既に描かれているように、このアニメ2期は魔術師の卵が通う学校(カレッジ)を主な舞台としている。人間以外の何かを出自とするエリアスは人間のように振る舞うためにしばらくラハブと行動を共にしていたが、彼女の言葉からすればこの時間はエリアスにとって学校のようなものだったと定義できるのだ。ただ同じくこの台詞から読み取れるように、エリアスにとってこの学校での学びは必ずしも満足のいくものではなかった。
 
エリアス「『楽しい』ってなんだろう」
 
ラハブとの生活で、エリアスは彼女を模倣し人間的な立ち居振る舞いを身に着けていった。食べ方、歩き方、眠り方、本の読み方などなど……だがエリアスはそれらの行為を認識はできても、笑うために必要な「楽しい」といった感情についてはよく分からなかった。今回の副題「The cowl does not make the monk.」が和訳すれば「頭巾では僧侶はできない」となるように、ラハブの模倣ではエリアスは頭巾は被れても僧侶には(人間には)なれなかったのである。
 
模倣はあくまで模倣であって本物ではない。それは学校教育に疑問を持った人間の多くが感じることだろう。金融や法律の知識のように実践的でなく、言われた文字や数字の羅列を覚えるだけ――模倣するだけ――の教育は何の成果にも繋がらない、と。だが、本当にそうだろうか?
 
 

2.模倣の魔術

ステラ「それどうしたの? エリアスとお揃いじゃない」
 
ラハブは、自分の"学校教育"はエリアスに何の成果ももたらさなかったと自嘲する。確かに彼は今も自分の感情を分かってはいない部分が多いし、時に人間からかけ離れた価値観を見せることもある。だが、だからといって無価値と断じるのは早計だろう。それを教えてくれるのが今回挿入される、チセがエリアスからループタイを受け取った際のエピソードだ。
 
エリアス「壊れたら困るものだから、君に持っていてほしい」
(中略)
エリアス「これを持っていたら君も無茶はしないだろう。自分を使わないやり方が分からないなら、これを壊さないように動いてほしい」

 

エリアスがチセにループタイを渡したのには、彼女の精神的欠落が大きく関わっている。スレイ・ベガとして生まれ迫害されてきた彼女は誰かを大切に思うことはあっても自分が大切にされるとは思っておらず、故に何かあると自己犠牲をためらわない。実際何度か死にかけてもおり、美質では済ませられないこの危うさをどうにかすべくエリアスが考えたのが、他人の大事なものを壊さないよう振る舞わせ結果的に自分を大切にしてもらう方法であった。
 
チセ「そう言われると怖いですね」
エリアス「そう思ってもらわないと。またお腹に穴を空けてもらっちゃ困るんだよ」
チセ「う……」

 

チセは自己犠牲以外のやり方を知らない。エリアスの採った方法は、そんな彼女に自分を大切にする方法を"模倣"、すなわち学ばせるものだ。彼はラハブを模倣して人間的振る舞いの中の感情を学ぶのことはできなかったが、模倣を通して学ぶやり方はしっかり身につけていた。ラハブの教えは直接的には失敗していても、間接的には十分成功していたと言えるだろう。このように彼女が実は教師失格などではなかったことは、エリアスが自覚はなくとも感情豊かになっていると話すチセのラハブへの感謝の言葉からも見て取れる。
 
チセ「上手く言えないんですけど、エリアスは家とか食べ物とか本当は興味がなくて。でも住んでる家があって、庭もきれいにして、畑も耕してて、ちゃんと魔法使いで……それはたぶん、ラハブさんの真似をしたからで。そんなエリアスにわたしは助けてもらいました。だから、きっとそれもラハブさんのお陰なんです」
 
現在のチセがあるのは、自分を文字通りに売ろうとした彼女をエリアスが買ったおかげだ。彼はチセをお嫁さんにするつもりだと言うが、彼の言うお嫁さんというのが人間の考えるそれと同じかどうかは分からない。だがこれによってチセが救われたのも、彼女と過ごす中でエリアスが人間的感情を理解するようになり始めたのも紛れもない事実だ。ラハブの模倣はそれ自体が成果を挙げられずとも回り回って二人を助けていたし、学びというのは本来そのように長い目で見るべきものではなかったか。
 
チセ「エリアスとわたしを助けてくれて、ありがとうございます」
 
模倣という行為は、どれほど上手くなってもそれ自体は意味を持たない。所詮は物真似に過ぎない。だが一方で、模倣を経なければ私達は物真似でない本物を知ったり見出すこともできない。いわば基礎学問であり、基礎学問抜きの実践技術は利便性はあっても発展性や独自性のない劣化コピーにしかならないものなのだろう。つまりそれは、魔法使いになるチセが魔法の模倣に過ぎないはずの魔術を学ぶ意義にもまた通じる。模倣の先に、チセが目指すべきものはある。
 
模倣とは魔術だ。私達は模倣の魔術によって、誰かの物真似でない一人の人間へと成長していくのである。
 
 

感想

というわけでまほよめのアニメ2期4話レビューでした。今回は書き終わり方にちょっと悩み。Bパートのチセがエリアスにお嫁さんにするつもりだと言った理由を問う場面、冒頭ラハブがチセにエリアスとの関係を問う場面と照応しまた「秘密と事実と真実の取り扱い」を踏まえた模倣の先に相当するかと思うのですが、その前の裏道うんぬんを上手く取り込めずに事実上Aパートのみで書いたような内容に。難しい。
 
オリジナリティというものを考える上で、今回は学びの多い回だったと思います。すぐ効果の出る「離」れ業はいつの時代も大人気ですが、守破離の「守」がないと離れるというよりただの迷子になってしまうのでしょうね。「誰が言っているかでなく何を言っているかで判断しよう」と言いながらむしろ何を言っているかこそが見失われていく今、立ち返ってみるべき部分でもあるように感じます。
さて、次回は再びカレッジが舞台。どんな出来事が巻き起こるんでしょうか。

 

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