1人になるほど――「魔法使いの嫁 SEASON2」8話レビュー&感想

闇を覗く「魔法使いの嫁 SEASON2」。8話ではキャンプ実習中のチセ達がトラブルに巻き込まれる。魔術師になるための実習とこの騒動からは、1人と孤独の違いが見えてくる。
 
 

魔法使いの嫁 SEASON2 第8話「Slow and sure.Ⅱ」

生きる知恵を得るための校外実習、“ブッシュクラフト”。
生徒達は授業の一環としてスコットランドへ赴いていた。
そこは、夜の者どもが荒野に遊ぶ地。
善き者も悪しき者も、
此方を見据える瞳は常に闇の中に在る。

公式サイトあらすじより)

 

1.キャンプの魔術

魔術師の卵が通うカレッジ(学院)を舞台に進行する「魔法使いの嫁 SEASON2」。今回は学舎を離れてスコットランドでキャンプ(正確にはブッシュクラフト)が行われ、一見すると普通の学校じみていてあまり魔術師らしくないようにも思える。だが「魔術師たるものどんな時も生き延びられるように」という理念から座学に限らず肉体を動かす授業も多いことが前回語られているように、これはけして余技の類ではない。キャンプ実習に自分もついて行こうとする魔法使いの師・エリアスに、主人公のチセは「自然の中、1人で生活できるようになるための実習」だからと同行を断ろうとするが、これは今回のキャンプの、いやいわゆる林間学校の"魔術的"性格をよく表している。
 
チセ「いえ、やはりそれはいけないと思います。自然の中1人で生活できるようになるための実習ですし」
 
現代を生きる私達は普段、自然からはある程度距離を置いた場所で暮らしている。固定された家屋があり、電気と電波が通じ、寝床や寒さを心配する必要がない……快適で安全なこの生活を私達は手放すことができないが、同時にこれらは災害時等は維持できない不安定な代物だ。そういう時のための生活の知恵を学ぶには、あえて文明の利器を使わない状況を作らなければならない。キャンプ、特にブッシュクラフトとは「助けを受けられない状況を擬似的に作り出す」ことで生まれるものと言ってもいいだろう。そう、その性質は魔法と同じ効果を擬似的に発生させる魔術と軌を一にしている。本ブログでは学校はそもそも魔術的な代物であるとこれまでも書いてきたが、魔術で火を起こしたりせずともこのキャンプもやはり十分に魔術的と言える。
 
チセ「わあ、すごいなあ。明日もう一度教えてくれる?」
ルーシー「構わないわ」

 

エリアスの同行をチセが遠慮しようとしたように、助けを受けずに1人で生活するというのは文明に限った話ではない。一緒にいるとつい頼ってしまうものから離れた時にどうするかを学ぶことにこのキャンプの意義はある*1。ただ、キャンプが集団で行われているようにこれは必ずしも孤独になることを意味しない。
 
 

2.1人になるほど

キャンプ最終日の夜、ルームメイトのルーシーがテントに戻らないのを心配して外に出たチセは、倒れている彼女を見つけ連れ帰る途中で人馬型の化け物ナックラヴィーに襲われる。級友のリアンと共に水の馬エッヘ・ウーシュカの背に乗り、真水の苦手なナックラヴィーを湖までおびき寄せようとするのがアクション的な見どころとなっているが、今回はこのような"隣人"の出番の多い回と言えるだろう。騒動の前も、チセは森の中で多数の隣人を目にしたり声を耳にしている。
 
チセ「隣人が……良き人達が多いですね」
 
隣人は当然ながら都会よりも自然の中にたくさんいるものだから、このキャンプでチセが隣人に接する機会は多くなる。エリアスが伝承の多さから人との関わりの濃さを推測しているように、今回チセが遭遇したような出来事が古代はたくさんあったのだろう。文明の助けを擬似的に避けた彼女はしかし、孤独に陥るどころかいつもは触れない他者との繋がりを増やしている。これは分身で知識を授ける程度のことしかできないエリアスを連れているチセが、彼に頼らずナックラヴィーを撃退するのに級友達の力を借りる結果になっている点とも符合する部分だ。
 
チセ?「怖い。壊さなきゃ。怖いものは壊さなきゃ」
 
何かとの繋がりが弱まれば別の何かとの繋がりが強まり、逆に強まれば別の何かとの繋がりが弱まる。ドラゴンの呪いを受けてから以前に増して隣人を知覚しやすくなっていたチセはそのために油断してナックラヴィーに近づかれてしまったし、エッヘ・ウーシュカは夜中に人を水中に引きずり込んで食べる危険な妖精だがナックラヴィーをおびき寄せるためなら心強い味方にもなる。私達は繋がりと聞くと特定の誰かとのそれの強弱ばかりを気にしてしまうが、それは実際は分配を変えているだけで繋がりの総量自体は変わるものではないのだろう。故にチセもまた、いつもの繋がりの減ったこの特殊な状況で別のものとの繋がりを強く見出す。湖に落としたナックラヴィーに道連れとばかりに殺されそうになった彼女が感じたのは、「怖いものは壊さなきゃ」とささやきドラゴンの力で躊躇いなくナックラヴィーを惨殺してしまう自分の中の"誰か"の存在であった。
 
リアン「大丈夫か」
チセ「何が?」
リアン「似たような顔、見たことがある。……鏡越しに」

 

どれだけ仲の良い相手であっても、人は自分の思いを正確に相手に理解してもらうことはできない。チセの感じた、自分の中に何者かがいる感覚などは他の人間には到底伝えようのないものだ。しかし一方で、リアンはチセの表情にかつて鏡越しに見た自分の顔と同じものを感じて苦しさだけは察することができる。彼がチセと同じ経験をしているわけはもちろんなく、共感できるのはむしろ全く違う経験をしているからこそだろう。これはおそらく、チセを食べそこねたエッヘ・ウーシュカが去り際に語る言葉(「もう夜道の酔っぱらいいない。夜通し歩くやつも立ち止まるやつも。お前久々に夜を歩くやつ。食えないの残念だった」)に私達がどこか寂しさを感じてしまうのと同じことだ。私達は他者の模造品としては常に不正確で、しかし不思議なことにその不正確さはなまじな正確さよりもずっと強く人と人を繋ぎ止めるのである。
 
人は他者と異なる一個の自分を認識した時、同時に他者が自分と分かちがたく結ばれていることを知る。1人になればなるほど、人は孤独ではなくなっていくのだ。
 
 

感想

というわけでまほよめのアニメ2期8話レビューでした。今回も相変わらず難しい、だいぶ観念的な書き方になってしまいました。自分の中でまとまっているようでまとまっていない、そういう感覚になることが多く本作のレビューは手強いです。
分身エリアスの微妙に間の抜けた喋りが印象的でした。さて、残り4話はどんな展開が待っているのでしょう。
 

<いいねやコメント等、反応いただけるととても嬉しいです>

*1:そこに「役に立たなければいいんだね」と能力の低い分身の姿で同行するエリアスはやはり"魔法使い"だ