笑劇の意義――「アンデッドガール・マーダーファルス」1話レビュー&感想

© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行
全てが壇上の「アンデッドガール・マーダーファルス」。1話では奇妙な男女の出会いが描かれる。見世物小屋から始まる物語は、芝居の要訣を教える物語である。
 
 

アンデッドガール・マーダーファルス 第1話「鬼殺し」

明治30年、怪異が息づく時代の東京。怪物たちの殺し合いなどを楽しむ見世物小屋で”鬼殺し”として活躍する真打津軽のもとに、メイドの馳井静句を引き連れた生首の美少女・輪堂鴉夜が訪ねてくる。
その目的とは―――。

公式サイトあらすじより)

 

1.壇上から離れぬ男

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講釈師「さあさあご覧いただきましたのは我が一座の大目玉! 泣く子も黙る鬼殺しの拳闘劇でございました」
 
19世紀末を舞台に奇想天外な事件が描かれる「アンデッドガール・マーダーファルス」。物語は見世物小屋から始まるが、史実のそれと似ながらも少し違うこの世界を象徴するようにそこでは珍妙な景色が繰り広げられている。緑の肌に鋭い爪を生やした妖怪しょうけらと、姿は人だが体のあちこちに青い線の走った男の拳闘……妖怪すら上回る俊敏な動きでしょうけらを殴殺した男は講釈師から"鬼殺し"と讃えられるが、別に彼は正義の味方などではない。文明開化の旗のもと「怪奇一掃」と呼ばれる怪異の大規模駆除政策の行われているこの国では、怪異も彼も等しく命の安い見世物に過ぎない。
 

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鬼殺し「鬼殺しのあたくしにゃあ、野良猫は殺せません」
男「何が鬼殺しだ。ただの仕込みじゃねえか!」

 

座長に怪物の側と言われ、町の人にも"鬼殺し"としか呼ばれぬ彼は、拳闘をしていない時も人として扱われていない。常に芝居がかった口ぶりで話す様も合わせて、この男は壇上から降りるのを許されぬ立場にあるのだろう。だが彼はある夜、自分の境遇を変える一人の女性と出会うことになる。それは銃剣を操る口数少ないメイドを従える、なんと首から下のない不死の怪物。名を輪堂鴉夜(あや)といった。
 
 

2.名探偵・輪堂鴉夜

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鬼殺し「不死ってな仙人みたいなヨボヨボのじいさんだと思ってましたが」
鴉夜「不老不死なんだから老いもしないさ。947年間、14歳と3ヶ月のままだ」

 

鴉夜との出会いによって"鬼殺し"の境遇は大きく変わることになる。終わりから言ってしまえばなにせ、彼は日本を離れて遠い欧州へ行くことになったのだから。とはいえそれが変化の全てではない。鴉夜がもたらしたのは何よりも壇上の見世物としての"鬼殺し"の解体、鬼殺し殺しとでも呼ぶべきものだからだ。
 

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鴉夜「私は目が肥えているからね、そういうのは見ただけで分かるんだ。お前には鬼が混じっている」
 
"鬼殺し"が何者であるかを、鴉夜以外の人間は誰も知らないし知ろうともしなかった。体に生えた青い筋は花柳病の類だと思っているし、なんなら見世物小屋での戦いぶりも仕込みではないかと疑っているほど。しかし面立ちこそ少女ながら九百数十年を生きる鴉夜に言わせれば、これらは見せかけやまやかしではない。鬼殺しの正体は鬼の天敵どころかむしろ、人の体にあらゆる化け物を殺せる鬼の肉体を埋め込まれたいわば鬼混じり。しかも乱暴に施術されたその体はひどく安定性を欠いており、見世物小屋で毎日のように力を使えばいずれ意識を鬼に飲まれて死ぬさだめにあった。
 

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津軽「あたくしが力を使い過ぎて鬼に飲まれるとしたらそいつは、十中八九怪物と戦っていて興奮状態の時に起こるでしょう。そんときゃあたくしの周りにいるのはゲスで低俗で悪趣味な血みどろ好きの客達と、そいつら相手に商売してる講釈師に座長ども……ということは、鬼に飲まれたあたくしが最初に襲うのもそいつらです」
 
既に触れたようにこれは鬼殺しの解体である。手品の種明かしと言ってもよい。口ぶりも物腰も芝居がかった彼はけして得体の知れない存在にあらず、非道を受けて死を待つ哀れな男の正体を暴かれてしまった。故に彼はあだ名(あざな)ではなく真打津軽なる本名を名乗り、見世物小屋にいた理由も明かす。
津軽の目的は見世物小屋での戦いの中で鬼に意識を飲まれ、安全な場所から怪異殺しを楽しむゲスな観客やそれを相手に商売する連中を地獄に叩き落すこと。だから彼は見世物小屋で力を使ってわざわざ寿命を縮める一方、鴉夜と出会った際に行き違いからそのメイド・馳井静句(しずく)に襲われれば抵抗もしたのだった。
 

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鴉夜「私を殺してくれ」
 
鬼殺しとは何者なのか? なぜ見世物小屋にいるのか? 物語開始時点で謎に包まれていた津軽の正体はここに明かされ、その目的も語られた。ミステリーとして考えれば、彼の語りは真犯人の動機の告白に相当するものだ。ただ怪異の登場する本作は少なくとも外形としてはミステリーに振り切っていないし、物語はこれで終わったりはしない。なにせ鴉夜が津軽を訪ねたのは彼を止めるためではなく、残り僅かな寿命を伸ばす代わりに自分を殺してもらうためなのだから。
 
 

3.笑劇の意義

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津軽「しかしどうして首だけなんです?」
鴉夜「半年前、ある阿呆に持っていかれたんだよ首から下をな」

 

鴉夜が津軽を訪ねたのは自分を殺してもらうため。この珍妙な依頼にはもちろんいきさつがある。不死と呼ばれる怪物の彼女にも元々は五体があったが、津軽と同じ鬼混じりの何者かに首を切られてしまった。あらゆる化け物を殺せる鬼に首を切られれば不死であっても死ぬはずだが、鬼と人が半分の鬼混じりに切られた結果彼女は首から下が生えない代わりに死にもしない喋る生首に。こんな境遇で生きていても楽しいことなどないから、半々ではなく鬼の方が濃い津軽なら自分を殺せるだろうと見込んで彼女は自分の殺人依頼に訪れたのだった。
長く生きているだけあって鴉夜の思考は明晰だ。津軽の正体の看破も寿命を伸ばす術を見返りに取引を持ちかけるのも筋道が通っている。……ただ、彼女の考えには一点だけ見誤りがある。津軽はけして、正体を暴かれたからといって壇上から降りる人間ではなかった。
 

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鴉夜「鬼と混ざるまでもなく、お前は生まれながらの人外だ」
津軽「身に余るお言葉で」

 

彼が見世物小屋にいた目的は既に語られた通りだが、その動機は骨髄に至るような恨みなどではなく酔狂とすら言えるものだった。なにせこんなことを思いついたのは「どうせ死ぬなら愉快に死にたい」と思ったからなのだ。ゲスな連中を地獄に落とせば多少の世直しになるとも言うがこれはせいぜいが半分で、理由の大半は面白さにある。人間的な前者の理由よりも化け物じみた後者の理由が大きい津軽の思考は、それ自体が鬼混じり的と言えるだろう。故に、話を聞いた鴉夜は津軽を生まれながらの人外と評するのである。
 

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津軽「怪物を面白おかしく殺すのがあたくしの芸です。ならなら自分のこともそうやって殺すのが筋ってもんじゃありませんか? なにせあたくしも怪物ですから」
 
津軽にとっては自分の命も冗談の種に過ぎず、彼は怪物を面白おかしく殺すのが自分の芸だと言う。そう、最初に見せたしょうけらの殴殺などは鬼殺しの芸の真骨頂ではない。面白くなければ本作がタイトルに冠しているような「ファルス(笑劇)」とは言えない。……逆に言えば、面白おかしくすれば津軽は怪物を殺したことになる。
 

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津軽「首だけになってまで生きても面白くない? とんでもない! そんな体だって面白いことはたくさんあります。あたくしがあなたを楽しませて差し上げましょう」
 
本作の会話は聞いていて小気味の良いものだが、それは一つには津軽の芝居がかった口ぶりによるところが大きい。当初は腹話術の使い手かと思われたほど口数の少ない静句でさえ、彼の前では苛立つような感情の動きを見せている。そしてこの影響をもっとも受けているのは誰かと言えばもちろん、彼との会話量の多い鴉夜であろう。なにせ首から下がない恐ろしい姿すら、津軽と話せば「(首から下がないから)ずっこけることもできん」だの「(頭が切れるでしょうと言われて)もう切れてるけどな」などと冗談の種になってしまうのだ。この時つまり、喋る生首という怪物は津軽によって面白おかしく殺されている。彼は鴉夜の依頼を笑劇的に果たしていると言える。
 

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鴉夜「何も私だって目や耳や脳みそを食わせるつもりは毛頭ない。困らん部分を使う」
 
津軽は鴉夜の話から彼女の体は欧州にあり取り返せば元に戻れるであろうこと、また体を奪ったのは自分を鬼混じりにした異人と同一人物であろうことを推測し一緒に欧州へ行くことを提案する。鬼の混じった男と喋る生首(そしてメイド)の欧州巡り! それはいずれ死ぬ男が首だけになった怪物に引導を渡す物語よりずっときらびやかで可能性にあふれた、何より面白おかしい話だ。肉体的な正体は暴かれても、津軽はやはり根っからの芸人"鬼殺し"なのだろう。だからこの1話は津軽と鴉夜の接吻というドラマチックな場面で終わりつつも、それを純粋なラブロマンスの帰結としては描かない。津軽の寿命を伸ばす方法、抵抗力が強く鬼になるのを遅らせる力を持つ不死の細胞の摂取を食われても困らない唾液で行うための方法――そういう儀式、そういう芝居の形を取る。けれどそれは一周回って、求め合うだけの男女の接吻よりも遥かにロマンチックな青い輝きを放つ。
 

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津軽は怪物を面白おかしく殺すのが自分の芸だと言い、その所作ふるまいは全て芝居がかっている。だが、だからといって彼が偽りの存在だと思う人はいまい。否、芝居がかっていなければ真打津軽ではない。芝居だからこそ、面白おかしいからこそ物語は"劇的"なのである。
 
 

感想

というわけでアンファルのアニメ1話レビューでした。鴉夜の唾液はビールよりも効く神便鬼毒酒みたいなものか?という印象から「鬼殺しの美酒」「鬼滅の美酒」などと最初は考えていたのですが、書いていく内に思わぬところに着地しました。笑劇(ファルス)ですよと強調する意味が少しだけ分かったように感じます。愉快なのと同時に全体に品格が感じられるのもいい。
期待通り、いや期待以上の始まりでした。毎週が楽しみです。

 

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