終わらない脱皮――「パーフェクトブルー」レビュー&感想

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公開25周年を記念し、2023年に4Kリマスター版が上映された「パーフェクトブルー」。どこまでが自分や現実か分からない映像の数々は、鑑賞する私達自身にも影響を与える。本作を見た人間は、もはやこれまでの”現実”に戻れない。

 

 

パーフェクトブルー

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1.小骨のようにひっかかるラスト

歌手を目指して上京した女性、霧越未麻(きりごえみま)はアイドルグループ「CHAM」の一人として活動していたが事務所の方針もあり女優へ転身することとなった。売出しのためどぎつい濡れ場なども演じる彼女だったが、やがてその周囲には異変に加えて殺人事件まで起き始め……?
故・今敏の初めての監督作品である「パーフェクトブルー」。主人公の未麻が体験する虚構と現実の境や自分は本当に自分なのか自信を持てなくなるような出来事と、連続する殺人事件の犯人が誰かというホラー展開が私達を引き込んでいくが、終わってみると出来事そのものはシンプルだ。未麻に濡れ場などを演じさせた人間を次々殺していた真犯人はマネージャーのルミであり、彼女は汚れた未麻を偽者として殺害を企てるも最終的には逆に彼女に救われ自分こそが未麻だと思い込んだまま病院へ。女優として成功した未麻は彼女がいたから今の自分があると感謝し去っていく……大まかに言えばこれが真相であり私達の認識する「現実」である。

 

見えなくなったはずの夢と現実の境には線が引かれ、エンディングテーマ「season」と共に人々は現実に引き戻されていく。本作冒頭で出てくる「脱皮」というフレーズから当初私が考えたのは、本作はアイドルから女優へ脱皮する未麻がさなぎの状態で見た夢のようなものなのではないかということだった*1。皮とは自分を未麻と思い込んだルミのように着るものではなく脱ぎ捨てるものである、という教訓めいた話も可能かもしれない。だが、そうしたきれいな内容にまとめようとした場合にはどうしても引っかかる箇所がある。ラスト、病院を去る未麻が口にする「私は本物だよ」という台詞だ。

 

正直に言えば、この台詞を聞いた時に私が感じたのは悪寒であった。台詞の直前、サングラスをかけた彼女が「霧越未麻」かそれともよく似た他人なのかと看護師達が噂していたのを考えれば、これは独り言での回答と解釈するのが妥当だろう。だが、それにも関わらず私達は彼女が霧越未麻であることに自信を持てなくなってしまう。完全に精神がおかしくなってしまったのではないかとか、別人なのではないかとか、とにかく彼女が霧越未麻を「演じている」のではないかという考えがよぎってしまう。しかしここでちょっと考えてみたい。「演じる」とはどこからどこまでを指すのだろうか?

 

 

2.終わらない脱皮

「演じる」とはどこからどこまでを指すか? 事件として本作を捉えた時、演じていた人間は一人だ。連続殺人事件の真犯人でありながら素知らぬ顔をし、最終的には自分自身が未麻だと思い込んだルミは間違いなく「演じている」。だが、演じていたのは彼女だけではない。

 

「演じる」ものとして最初に挙げられるのは職業である。未麻はアイドルから女優へ転身するが、「演じる」点で実は両者は同じものだ。アイドルはファンに夢を与えるために、女優はドラマを成立させるために共に演技を求められる。未麻は2つの職業のギャップに苦しむが、演技を求められる点では何も変わっていない。

 

2つ目に挙げられるのは未麻の心である。彼女は女優への転身に乗り気だったわけではなくそこからはアイドルを続けたい気持ちが本心だったように思えるが、母との電話から分かるように未麻の当初の夢は歌手だ。歌を歌うのは変わらないし重なる点もあるが、歌手とアイドルは同一ではないからそこには嘘がある。歌う機会のない女優への転身を受け入れた点からすれば、そもそも歌手の夢自体が上京のため嘘をついているに――「演じている」に過ぎなかったのかもしれない。

 

いったい人は「演じる」ことから逃れられないものだ。煮えくり返った腸と裏腹の笑顔で応対した経験は誰にでもあるだろうし、演技を続ける内に内心が変わってしまう場合も珍しくない。未麻はドラマで強姦される場面を「演じる」ことを内心では泣くほど嫌がっていたが皆に迷惑をかけまいと平気な自分を「演じる」し、その後のインタビューでも女優への脱却を目指し前向きな気持ちで受け入れたのだと「演じて」いる。虚構は現実と二分されているわけではなく、現実の中で多重構造を形成しているのである。そういった意味で、虚構と現実の区別がつかなくなる本作の映像はむしろ極めて”現実的”だ。故に本作は、殺人事件の真犯人がルミであった事実が虚構と現実の乱麻を断つ快刀となることを許さない。そんな結末は現実的ではない。

 

ラストシーン、「私は本物だよ」と語る未麻を、本作は彼女の乗った車のフロントガラス越しには映さない。バックミラーを通して描かれる彼女の表情は、誰かに語りかけているようだ。いったい誰に? 同乗者ではない。そんな人間はいない。他でもない、彼女は我々視聴者・・・・・に向かって「私は本物だよ」と語りかけている。私が感じた悪寒とはつまり、虚構の登場人物が第四の壁を破って語りかけてきた衝撃――ホラーの最後で怪物に「次はお前だ」と画面越しに迫られたのと同じ恐怖であったのだ。
第四の壁を超えられるのは、己のいる場所を虚構と認識している者だけである。ならば未麻が視聴者に話しかけてくるラストは、彼女が「霧越未麻」を虚構と認識している可能性を、私達が見た物語が劇中で「演じられた」ものに過ぎなかった可能性を示唆している。だいたいが全てが虚構のアニメーションで、私達の把握した物語の実像のどこが現実だと言うのだろう?

 

私達を虚実定かならぬ現実へ引きずり込む「霧越未麻」は、確かにアイドルから女優へと脱皮している。そして私達は、いくら虚構から脱皮を繰り返そうと絶対的な現実にはけしてたどり着けない。本作をもってその事実を体験した瞬間、私達はもはやこれまでの”現実”に戻れなくなってしまうのである。

 

 

感想

というわけでパーフェクトブルーのレビューでした。いやー、怖かった! 終盤で未麻が追いかけられる場面では映画館から逃げ出したいくらいの気持ちになったのですが、ラストシーンで本当にぞくっとしまして。帰り道、ちゃんと呼吸しているはずなのに酸素が取り込まれていないような気分の中で考えを整理して、あれは残酷な場面を見るのとはまた違った恐怖だったのではないかという結論になりました。


今敏監督の作品は2001年の「千年女優」だけ見たことがあり、雪の降る中電車に乗った記憶が……あったんですが今確認すると公開は2002年「9月」になってますね。たぶん冬に特別上映したのを見に行ったのだと思うのですが、ひょっとすると私の記憶がもはや定かでなくなっているのかも。なんだか今更狐につままれたような気分になっています。今となっては確かめようもないしなあ。そして劇中登場するブラウザがネットスケープっぽいのがあまりに懐かしかったり、兄貴キャラの記憶があまりに強い堀秀行さんがそれとは全然違う役で出ているのに興奮したり。

 

もう一度見たいようなもう二度と見たくないような、とにかく大変な力のある映画だったと思います。25周年を記念して上映に動いてくださった皆様、ありがとうございました。

 

 

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*1:しかし脱皮は不完全変態であってさなぎではない。さなぎのように体組織をほとんど根本から作り変えるような変化は起きない