千年女優は私達に問う――「千年女優」レビュー&感想

©2001 千年女優製作委員会

約20年の時を超えて2024年にリバイバル上映された、今敏監督の「千年女優」。現実か虚構か分からぬ女優の一生は、尽きぬ希望と共に私達に問いを投げかけている。

 

 

千年女優

www.youtube.com

1.信じるほどに、演じるほどに遠ざかる夢

映画会社「銀映」の所有する老朽化した撮影所の閉鎖に伴い、銀映を代表する女優であった藤原千代子のドキュメンタリーが作られることとなった。30年ぶりに取材に応じた千代子の語る、彼女の秘話とは……?

 

2010年に亡くなった今敏監督がメガホンをとった2作目のアニメ映画「千年女優」。前作「PERFECT BLUE」では虚構と現実の境が分からなくなる展開が恐怖に満ちていたが、そうした持ち味は本作にも受け継がれている。物語は齢70を超えた元女優の藤原千代子の半生の取材という体で進むが、なにせ女優の彼女のこと、どこからが撮影された映像の話なのか判然としてこない。彼女が女優の道を進んだのは少女時代に出会った「鍵の君」と呼ばれる男性がきっかけだったと語っていたはずなのに、取材者の一人にして千代子の長年のファンでもある立花が「俺はこの場面で53回泣いた!」などと言い出すから若いカメラマンの井田の方はわけが分からなくなってしまう。その後も戦時中は思想犯として追われており行方の知れなくなってしまった鍵の君を追う千代子の物語は自身の出演した映画の内容に被せるように展開され、おまけにその全てに立花と井田が出てきてメタ的なやりとりをするものだから見る人間としては最早ちんぷんかんぷんだ。ただこうした現実と虚構の混濁が鑑賞者を恐怖に叩き落とすものではなく、映画として描かれることや漫才的な掛け合いによって華やかさやコミカルさを含んでいるのが前作とは異なる個性となっている。そして、見逃せないのはこうまで現実と虚構と入り交じらせながらも本作は基底となる現実をしっかり用意している点だ。

 

既に述べたように、千代子と立花達のやりとりは彼女のドキュメンタリー製作がきっかけとなっている。すなわちどれだけかつての映画と現実が入り交じろうと、千代子がもはや齢70を超えている現状は揺るがしようのない事実だ。会う前の立花が「あの方は齢をとらん!」などと子供じみたことを言うのも無理もないほどに今でも千代子は美しいけれど、それでも取材の最中に具合を悪くし最後には病院へ運ばれ今晩が山とでもいった状況に陥ってしまう。これは彼女が30年前に女優を辞め隠棲していた事情とも重なっていて、千代子は先輩女優の詠子が嫉妬するほど若々しさを長く保っていたけれども、それでも老いの影は隠せなかった。彼女は女優を続ければ鍵の君と再会できるのではと考えていたが、鍵の君が絵として残していた少女時代の己からどうしたって離れていく自分に気付いた千代子はもはやその夢を信じられなくなってしまった。いや、信じていると演じる・・・ことができなくなってしまったのだ。千代子にとって女優を辞めることは夢を諦めるのと同義であり、それからの30年は夢にたどりつけない現実に打ちのめされた失意の日々だったと言えるだろう。

 

「夢を叶える」とよく言うけれど、本当に夢を叶えた人などこの世にいるのだろうか。たいていは形にすらならず、実現したはずでも思い描いていたものとはかけ離れている――それが実際ではないか? 人は夢に本当にたどり着くことなどできない、それが現実ではないか? 千代子の場合にしても、終盤明かされたのは鍵の君は戦時中に拷問で死亡しており彼女は数十年に渡っていない人の影を追いかけていたという無惨な現実であった。
叶わないのが現実なら、夢を見るほど、叶うと信じるほど、そう演じるほど私達は夢の実現から遠のくことになる。だが、それは絶望なのだろうか?

 

 

2.千年女優は私達に問う

夢はけして叶わないし、叶うと信じ演じればかえって遠くなってしまう。しかしそれに絶望するのは一面的なものの見方に過ぎない。

 

千代子には、女優を辞める前にも既に一度夢を諦めた過去があった。彼女は鍵の君からもらった「一番大切なものを開ける鍵」を大事に持ち続けていたがある日紛失していまい、その後映画監督の大滝のプロポーズを受け入れていたのだ。鍵をなくしたことで自分がもう夢見る子供の歳ではないと気付き、現実を直視したわけだが――実際には鍵は紛失しておらず、千代子を手に入れんとした大滝が詠子を脅して盗ませたに過ぎなかった。つまり彼女が直視したはずの現実も、結局は夢や虚構の類に過ぎなかったのである。

 

「現実を直視しよう」とよく言うけれど、本当に現実を見ている人などこの世にいるのだろうか? どんなに綿密に立てた計画も実行すれば必ず想定外の出来事が起きるし、その場では上手く行っても思わぬ落とし穴のきっかけが生まれているのが世の常だ。人はどれだけ現実を見ているつもりでも結局夢や虚構を見ているに過ぎないというのもまた現実・・ではないか? それは本作で描かれる千代子の過去がいかに現実に思えても、立花と井田の乱入でやっぱり撮影されたものや虚構に過ぎないとひっくり返されていく様からも見て取れる。だったら、本作で基底とされているはずの現実もまた夢や虚構たり得るはずだ。

 

病院で今にも息を引き取らんとする千代子は、自分の死を悲しまない。彼女に言わせれば、これは鍵の君を追いかけるための旅立ちに過ぎない。そして千代子が今際の際に気付いたのは、自分は「鍵の君を追いかける自分が好き」なこと……たった一つの真実のはずだった恋心すら、夢や虚構に過ぎないのかもしれないという発見であった。しかし、それを口にする千代子の瞳はむしろ喜びに満ちている。死や恋心すら夢や虚構に過ぎないという発見は、彼女をロケットの発射の如くより高次へ飛翔させるものだからだ。たどり着けぬが故に、まだ先へ行けると思えるからだ。30年に渡って隠棲していた彼女は、こうして旅立ちの瞬間女優へと戻っていった。

 

夢は絶対に叶わないし、対極のはずの現実や真実にも私達は永遠にたどり着けない。それでも、そしてだからこそ、夢や虚構を信じ続けられますか? 演じ続けることができますか? 千年女優は、彼方の星空を見るように希望に満ちた瞳で私達に問うているのである。

 

 

感想

というわけで千年女優のレビューでした。リバイバル上映1回目の鑑賞では本当にちんぷんかんぷん、私の手には負えないのではと困惑しながら2回目を鑑賞したのですが、次第に考えがまとまっていき終盤では涙を流して見ている自分がいました。映画で目が潤むのではなく落涙したのはどれくらいぶりだろう……

 

dwa.hatenablog.com

以前「パーフェクトブルー」のレビューで書いたように本作は今敏監督作品で唯一上映当時に見たことがありまして。主演女優・藤原千代子に惹かれたのがその大きな理由でもありましたから、彼女との約20年ぶりの再会は自分がなんだか立花「さん」の爪の垢にでもなったような心地にもなりました。故・飯塚昭三さんの演技がまたチャーミングでたまりません。
この作品を再びスクリーンで見られたことに、心からの感謝を。ありがとうございました!

 

<いいねやコメント等、反応いただけると励みになります>