なり代わりvsなり代わらせ――「ダークギャザリング」20話レビュー&感想

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

対立の「ダークギャザリング」。20話では螢多朗の危惧の的中と同時に思わぬ魔手が襲いかかる。恐るべきは「なり代わり」だけではない。

 

 

ダークギャザリング 第20話「旧I水門/無垢の怨念」

darkgathering.jp

 

1.なり代わりの脅威

危険度Sランクの心霊スポット・旧I水門へやってきた螢多朗達は、高名な霊能者である闍彌巫子(しゃみ・なぎこ)と出会う。彼女と共に水門に近づく螢多朗達の前に、一人の少年が現れ……?

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

詠子「確かなんかのテレビで……」
螢多朗「ああ! 昔よくテレビの心霊番組に出てた霊能者じゃあ?」

 

敵味方定かならぬ「ダークギャザリング」。今回は闍彌巫子という人物が登場するが、その存在は最初から最後までなかなかに衝撃的だ。なにせ一般的には霊能者として知られる彼女はしかし、実のところ巫子であって巫子ではない。その正体は彼女の肉体を乗っ取り何食わぬ顔で生活している幽霊――前回螢多朗が体験し危惧した「なり代わり」なのだから。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

オズワルド「修行中にあなたが寺に隠してたエロ本の場所、全部掘り当てましょうか」
グラサン坊主「本物か……」

 

この20話前半で描かれるのは、巫子を始めとした「なり代わり」の恐ろしさだ。彼らは肉体を奪えばその技能を掌握し記憶まで読み取ることができ、螢多朗が前回受けた本人でなければ知らないような質問を受けても答えに窮することはない。今回なり代わりなのが明らかになったオズワルドに至っては元の体の人脈を駆使して情報収集までしている始末で、つまり状況は個人どころか霊能者の組織そのものが「なり代わ」られ始めるところまで来ていた。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

「なり代わり」は肉体に留まらない。この観点に立つ時、螢多朗達が知る近年の巫子は存在そのものが「なり代わり」的だ。彼らは強大な悪霊を集めるべく心霊スポットを周っているが、巫子は今後の予定にあった危険度AランクやSランクの心霊スポットに既に赴き除霊を済ませてしまっていた(実際はSランクの旧トンネルでは失敗し、体を乗っ取られてしまったのだが)。今回に至ってはH城址にオズワルドが仕込んだのと同種であろう呪物を携えていた上に螢多朗達をとって食べてしまおうと出会ったばかりの彼らを同行させており、目論見通りにいけば螢多朗達の悪霊集めは完全に「なり代わ」られてしまっていたことだろう。しかし物語はそう単純ではない。旧I水門に潜む霊は、霊能者も手玉に取る「なり代わり」の想像すら超えた恐ろしき存在であった。

 

2.なり代わりvsなり代わらせ

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

少年の霊「おなか、すいた……」

 

旧I水門に潜む危険度Sランクの霊。その正体は幼い少年の霊だった。継母に虐待を受けた上その間男が父を殺害、事情を知らぬまま父の死体から作られた「肉団子」を食べてしまい最終的には自分も間男ともども肉団子にされてしまう悲惨な人生を送ったこの霊の力は凄まじく、高名な霊能者のはずの巫子ですら全く相手にならず殺害されて(なり代わった肉体を破壊されて)しまうほど。ただ、ここで注目したいのは強さ以上にその行動だ。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

例えば少年の霊は当初生前と同じ姿で現れたが、それは霊力で幽世から出てきたのではなく水分と光の屈折で現世に姿を投影していたものであった。つまり螢多朗達が少年と思っていたものは本当は少年ではなかった。また螢多朗は今回の最後で少年の霊が自分の過去を知ってもらいたがっているのではなく純粋・無差別に憎悪をたぎらせていると知るが、これは彼の口からそういった言葉を聞いたわけではない。生前から現在に至るまで、少年が何を考えたか知ったのは彼から差し出されたスケッチブックに描かれた絵や言葉を通してだ。直接的には「おなか、すいた」としか言わないこの霊に比して、スケッチブックは本人以上に少年について雄弁であった。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

螢多朗(腕が、勝手に……!)

 

水と光の虚像やスケッチブックといった少年の霊の代弁者は、恐ろしいのはもちろんだが巫子の対極に位置してもいる。巫子のような「なり代わり」は他人になったように自分が振る舞うものだが、これらは逆に自分になったように他者に振る舞わせる行為だからだ。巫子にならって分類するなら、なり代わりならぬ「なり代わらせ」を少年の霊は行っているのである。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

巫子「せ、せっかく手に入れた体が!!」

 

絶望した少年の霊の憎悪は、それがもたらす力は凄まじい。怨念で継母を殺害し死後も水門に縛り付け、更にその霊を巫子が除霊すれば今度は巫子が母に見えるようになってそれを殺害する。母親でないものを母親のように扱い、全てを肉団子に「なり代わらせて」いく。なり代わりで強大な力を得たとうぬぼれていた偽の巫子は、皮肉にも螢多朗がなるはずだった犠牲者に「なり代わって」しまう末路をたどることとなった。彼女はバトルとして見ればただの噛ませ犬だが、少年の霊が何者かを説明する点では十分な役割を果たしたと言える。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

力の上では「なり代わり」を一蹴した少年の霊であるが、より広く見れば彼は「なり代わり」「なり代わらせ」両方の犠牲者でもある。なにせ彼は母に「なり代わった」継母に家庭を破壊され、死体を隠匿するための肉団子によって食事を呪いに「なり代わらせ」られた結果こんな悪霊になってしまったのだ。両者の暴走の産物が彼だと言うなら、この戦いは螢多朗達にとって単なる戦力増強に留まらない意味を持つことだろう。今はまだ存在にすら気付いていないが、螢多朗達が悪霊を追うならいずれは「なり代わり」達とぶつかることになるのだから。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会


この20話は「なり代わり」と「なり代わらせ」の救いなき対決である。螢多朗達に先立って、なり代わって行われたこの対決の轍を彼らは踏んではいけないのだ。

 

感想

というわけでダークギャザリングのアニメ20話レビューでした。よりによって空腹の時に見ることになり直後にカップラーメンを食べたのですが、さすがに謎肉入ってる類のは食べる気しなかったですね。さてさて夜宵達はこの霊にどう立ち向かうのか。予告を見ても激闘になりそうです。

 

 

<いいねやコメント等、反応いただけると励みになります>