反転の時を迎える「SK∞ エスケーエイト」。7話で歴はある日は生き生きと、ある日は魂の抜けた様子で家族に訝しがられる。対極的だが、どちらも普段の彼と異なる様子なのは同じだ。交わっている。今回は、∞の交わりの裏面と普遍を見せてくれるお話だ。
SK∞ エスケーエイト 第7話「つりあわねーんだよ」
ランガと自分の実力差に改めて気付かされてしまった暦は、徐々に劣等感に苛まれていく。ランガは暦の心中に気付かず、愛抱夢と滑ったヒリヒリするスケートを求めて危ういスケートにのめり込んでいく。そんなとき、愛抱夢からある発表が行われる。
(公式サイトあらすじより)
1.交わりと重なり
前回初登場し愛之介(愛抱夢)と火花を散らした警部補・鎌田貴理子だが、今回も彼女の立ち位置は変わらない。愛之介の先輩である高野議員の汚職に関し、2人は応酬する。
貴理子「虚偽答弁は偽証罪に問われること、ご存知かと思いますが」
愛之介「君こそ、憶測が過ぎれば名誉毀損になると知っておくんだね」
2人は意見は異にしているが、相手の罪のおそれを指摘するやり方や切れ者ぶりは同様だ。「重ならないがゆえに交わっている」とも言える。そして、これとは対照的なのが愛之介と忠のやりとりだろう。高野議員の汚職を隠し通せなくなった場合について、愛之介は自分の答弁の泥を忠が被ることを命じる。
愛之介「不服か?」忠「……いえ。私に意見はありません」愛之介「だろうな。お前は昔からずっとそういう奴だよ」
「私に意見はありません」という忠に愛之介は、かつて自分のスケートボードが父に焼かれた時も同じ言葉を口にしたことを重ねている。そしてだから、彼は忠を犬と軽蔑している。貴理子の時と逆に「重なるがゆえに交わっていない」。
敵対する者の方がある意味で心が通じ、従う者の方が心通わない。叔母との関係にも言えることだが、愛之介はそうした矛盾した状況を抱えている。そしてこの説明においては"交わる"の対として"重なる"を用いたが――ちゃぶ台をひっくり返そう。こんなものは言葉遊びでしかない。
2.近付くほど離れて
先の段では"交わる"と"重なる"を対にしたが、実際のところこの2つは入れ替えられないものではない。愛之介と貴理子は意見を交わらせないが言い方は重なっているとも言えるし、忠は往時の自分と交わったままであるが故に愛之介と重ならないとも言える。つまり"交わる"と"重なる"はコインの裏表でしかない。表現を統一するなら先の2例は「交わらないがゆえに交わっている」「交わるがゆえに交わっていない」となる。そして、これは今回決裂した歴とランガの関係にも言えることだ。
これまでの出来事を通して、歴とランガは深く交わってきた。歴はランガが褒められるのが自分のことのように嬉しいし、ランガにとって歴が友達の代表であることは間違いない。けれど交わりが深ければ深いほど、2人の交わらない部分もあらわになっていく。
ランガがチェリーやジョーと同じ立場であれば、歴はただ憧れるだけだったろう。
歴が大切な友達でなければ、ランガにとって愛抱夢と滑ることは裏切りにはならなかったろう。
しかしその喜びも悲しみも、2人が交わらなければ生まれすらしなかった。
∞にあるのは交点だけではない。どこまでいっても交差は一瞬のものでしかない。交わったらその後は、一番遠い場所へ離れていく。
離れて終わりならそれは∞ではない。3話で描かれたように、無限大の交差は繰り返す度に強くなる。しかし交差の勢いが強くなることは、交点から離れる勢いが強くなることとも同義だ。その勢いに両者が千切れた時、∞はただのXになってしまう。実也と友人や愛抱夢とチェリー&ジョーのように、そんな結末を迎えた関係はかつてもこれからもありふれている。歴とランガが直面しているのはそういう、どこの誰の経験とも交差する危機なのだ。
感想
というわけでエスケーエイトの7話レビューでした。とうとう来てしまいました、この時が。1つの出来事をきっかけにではなく、歴が立ち直ろうとして、ランガが説得しようとして、それらがすればするほど2人の関係を裂いていくのが重くて辛い。∞の交差してる。これにどういう決着をつけるか、作品の見せ場だと思います。今後の展開に期待せずにおられません。