「諦めない強さ」とは――「ゾンビランドサガ リベンジ」7話レビュー&感想

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©ゾンビランドサガ リベンジ製作委員会
死の意義を問う「ゾンビランドサガ リベンジ」。7話では普通の人間の少女・楪舞々(ゆずりはまいまい)が登場する。振り付けを覚えているが体で再現できない彼女にならって今回は、頭と体を鍵に「諦めない強さ」を読み解いてみたい。
 
 

ゾンビランドサガ リベンジ 第7話「マイマイレボリューション SAGA」

幸太郎は悪くない。絶対に悪くない。
この佐賀では、予期せぬことが突然起きる。
それをあいつらはよってたかって鬼の首をとったように責め立ててきた。
だがゾンビィじゃないので俺の首はとれない。そしてフランシュシュも終わらせない。
雨降って地固まる。地固まったら掘り起こす。
ピンチはチャンス。ゾンビィチャンス。
―――――《巽幸太郎》の日記より

 

 

1.ゾンビィじゃないけど心はフランシュシュ……なのか?

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舞々「頭では分かってるんですが肉体が追いつきません!」
 
ひょんなことからフランシュシュがゾンビィと知り、一緒に秘密を守ろうとフランシュシュ7号となった舞々。元々フランシュシュのファンであった彼女は歌も振り付けも頭に入っているが、ダンス経験がなくすぐには実際のパフォーマンスにできない。頭では分かってるが体が追いつかない舞々の状況は、見ようによってはゾンビィでない彼女の立ち位置にもぴたりと重なっている。すなわち「体はゾンビィじゃないけど心(頭)はフランシュシュの一員」……実際、へこたれない舞々は技量が未熟でもすぐ皆に受け入れられていた。ゾンビィでなくとも、フランシュシュから弾かれるようなことはなかった。
 

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舞々「ゾンビなんか関係ない、生きとる人となんも違わん!」

 
舞々自身もまた、ゾンビィと知ってもさくら達を自分達と違う存在だと排斥したりはしない。私達視聴者もさくら達の喜怒哀楽に一喜一憂しているわけだから、ゾンビィも生者と違わないという舞々の言葉は一定の説得力を持っている。
 
だが、ゾンビィでなくともフランシュシュが務まるなら本作の設定は意味を失う。「ゾンビランドサガ」である必然を失う。ゾンビィでないことはけして、単なる肉体的差異の問題ではない。
 
 

2.ゾンビィである意味、ゾンビィになれる資格

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リリィ「ごめんね舞々ちゃん、リリィそれだけはできないの」
さくら「ほら、バレちゃうけん」

 

たゆまぬ練習でダンスも上達した舞々は皆を銭湯に誘うが、ゾンビィであるさくら達はそればかりは一緒にできない。ゾンビィとバレてしまうからできないと断らざるを得ない。
銭湯ではゾンビィの体に刻まれたツギハギの傷跡が容赦なくあらわになる。つまり傷跡は、何も違わないようで決定的に違うゾンビィと生者を明確に分ける一線としての意味を持つ。そしてその傷跡はもちろん、彼女達が死んだ時に受けたもの。すなわち挫折の証だ。
本作において、ゾンビィであることは単なる肉体的差異を意味しない。ゾンビィであることは、挫折から再び立ち上がった証なのである。
 

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舞々「だって、そこはダメやったやないですか。なんでわざわざまたあの地獄に?」
 
そう考えた時、舞々の精神性は確かにさくら達とは違う。豪胆とも評される彼女の心は確かに強くて、転んで眼鏡が割れようがダンスがなかなか身につかなかろうがへこたれない。けれどそれは意地悪な言い方をすれば、ある種の鈍感さがもたらす強さだ。彼女にとってそれらは挫折ではなく、だから本当の意味では立ち上がっていない。事実舞々は、フランシュシュが惨敗を喫した駅スタに諦めず再挑戦するなど考えてもいなかった。
舞々は体はゾンビィでなくとも心(頭)は最初からフランシュシュの一員のつもりだったけれど、本当はそここそ皆とさくら達と違っていたのである。
 

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さくら「それよりもっともっと怖いとは、諦めてただの動く屍になっちゃうこと」
 
舞々がフランシュシュを、フランシュシュ1号を本当に知る場面で、さくらは「諦めない」という言葉を繰り返す。「諦めない」は、たやすく人を魅了する美しい言葉だ。5話で大空ライトが観客を魅了したのも「ネバーギブアップ!」の一声であった。
しかし、ただ諦めないことは見ようによっては単なる往生際の悪さだ。さくらの言う諦めない強さとはそういう、延々レスバして論破宣言するようなものではない。倒されて打ちひしがれて、そこから再び立ち上がれる強さのことだ。
 
きっちり死んで、しかしそこから再び蘇れる心の強さ。それは舞々が豪胆であるが故にこそ、平成を生きたさくらとはまた違った物分りの良さを持つからこそ、これまで経験してこなかったものだった。
 

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舞々「皆さんみたいに輝くためには、まずはわたしもこの佐賀でちゃんと生きんと。だからわたしはフランシュシュを卒業して、この令和を一生懸命に生き抜きます!」
 
蘇るためにはまず本気で死ななければ――本気で挫折しなければならない。
本気で挫折するためには本気で挑まなければ――本気で生きなければならない*1
 
舞々の気付きもまた、本気でフランシュシュになろうと挑んだからこそ得られたもの。そしてそれは、フランシュシュに自分達を見つめ直させる=蘇らせる機会ともなった。さくら達だけでは、それは叶わなかったろう。
 

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大古場「何度調べても結果は同じ。(中略)間違いなく、全員死んでいる」
 
1話や6話で明確なように、人は他者の存在によってこそ蘇るものだ。大古場は取材を繰り返し、フランシュシュがゾンビィであることを繰り返し確認する。彼女達の死を"蘇らせる"。「本気の記者」たる彼がこの先いかに動くのか。それもこの先、目の離せない要素である。
 
 

感想

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というわけでゾンサガ2期7話レビューでした。舞々の卒業を聞いた時は皆寂しそうだけど、特にたえの表情が見てるこっちが泣きそうになるほど寂しそうで。懐いてたんだなあ。
 
観客の中にかわいい眼鏡っ娘がいるなと思ったことはありましたが、これまでの全部で気付いたわけでもなかったのでまさかこんな重要ゲストになるとは想像もしませんでした。こういうお話だと舞々はすぐ諦める娘として描かれるのがパターンだと思うのですが、彼女を豪胆な存在としているのも特徴的。
元号の違いが良い具合に活かされた、素敵なお話だったと思います。次回はついにゆうぎりの過去編のようで、1話で終わりそうにない話がどうなるのか楽しみ。
 
 

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*1:だから、ただただ理不尽で人の心をへし折るような挫折は邪悪である