"永遠のアイドル"とは何か――「ゾンビランドサガ リベンジ」12話レビュー&感想

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©ゾンビランドサガ リベンジ製作委員会
復讐の時は来たれり「ゾンビランドサガ リベンジ」。12話は1話で大失敗した駅スタでのライブの"リベンジ"。成就には何が必要だったのだろう?そして、さくら達が目指すべき"永遠のアイドル"とはいったい何だろう?
 
*「究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら」12話レビューは日を改めます。申し訳ありません。
 

ゾンビランドサガ リベンジ 第12話(最終回)「史上最大の SAGA」

巽幸太郎は二度と諦めない。
『フランシュシュ』の【駅スタライブ】を必ず成功させてやる。
あのステージに、もう一度あいつらを立たせてやる。
そこに涙などいらない。いるのは地獄すら焼き尽くす復讐の炎のみ。
これはサガ史上最大のリベンジ。
『ゾンビィランドサガ・プロジェクト』という長き戦いの序章だ。
―――――《巽幸太郎》の日記より

公式サイトあらすじより)

 
 

1.佐賀の死

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©ゾンビランドサガ リベンジ製作委員会
フランシュシュの駅スタリベンジライブが成功した理由。身も蓋もなく言えばそれは、佐賀が豪雨災害に遭ったからというのが大きい。チャリティーコンサートであったこと、全国紙5社の働きかけで全国企業の協賛があったこと、避難所でのライブが結果的に大きな宣伝になったこと、大古場が避難所取材をきっかけにコンサートを応援してくれたこと、そして人々が希望を求めていたこと。それらがなければ、1年前は500人規模が大成功だったアイドルグループのライブで30,000人の会場が埋まるのは流石に無理がある。
 

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©ゾンビランドサガ リベンジ製作委員会
もちろんこれは「だからあの大雨も降って良かったんだ」などということを意味しない。駅スタへ向かうさくらを通して私達は、インフラが破壊された世界滅亡後のような佐賀を見る。ひとっこひとり見当たらないそこには濃密な死の気配がある。これまた身も蓋もなく言えば、佐賀は「死んだ」のである。
だが、死んでいたのはこの2期早々のフランシュシュも同様だったはずだ。
 

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サキ「こんな時にライブとかふざけんなってなる人もおると思います。けどアタシらは、アタシらが歌うことで皆が、皆がすぐに笑えるかは分からんけど、ほんの少しでも元気になるって信じてステージに立ちます。それが、アタシらの思うアイドルやけん!」
 
2期が始まった時フランシュシュは、そして幸太郎は死んでいた。駅スタ大爆死の借金とトラウマにフランシュシュの輝きは奪われ、幸太郎は酒に溺れていた。にも関わらず蘇れたのは、互いの存在あってこそだ。フランシュシュあればこそ幸太郎は再起できたし、彼のアンコールあればこそフランシュシュは「REVENGE」を歌い上げられた。相互の存在あってこそ、蘇ることが――リベンジできたのだ。
ならば駅スタのライブも、フランシュシュだけではリベンジは果たせない。求めるだけでなく、求められねば果たせない。駅スタライブはフランシュシュが求め、人々に求められたからこそ成就した。求めて、求められたからこそ佐賀の地は蘇ったのだ。
 
 

2.絶対を生み出す鏡

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相互の存在は相互であるが故に、どれだけ近づこうと交わることはない。大古場は幸太郎に協力しつつも完全に信用したわけではないし、佐賀県が駅スタライブに協力したのは心情ではなく、復興への最適解によるものに過ぎない。フランシュシュが幸太郎の言いたいことを察しても、幸太郎は己の喀血は隠す。柱である駅スタライブにしても今回のライブシーンは完全に観客目線で、フランシュシュの心の声は観客にも私達にも聞こえない。歌い切ったさくらが思わず涙してしまうのは見えても、そこにある思いや彼女にかけられる仲間の声を聞くことはできない。
 

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だが、それでもこの駅スタライブで皆は"一つ"になる。いや、交わらぬ両者のそのやりとりこそ、何にも屈することなき"たった一つ"のものなのだ。"絶対"の存在なのだ。
交わってしまえばコール・アンド・レスポンスは生まれない。生と死の区別なきところに本当の生は存在しない。英雄と語り部の区別なきところに伝説(サーガ)は存在しない。そして、アイドルと観客の区別なきところにライブは、Liveは、生は存在しない。
 
 

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前回フランシュシュは、自分達はもはや素顔すら仮面となったことを知った。素顔で生きていける場所などないことを知った。それはさくら達が観客とけして交われぬ絶望の宣告であり、同時に彼女達が誰よりも観客と己を隔てられる存在たり得る刻印でもある。そう、アイアンフリルも大空ライトもホワイト竜も今回観客となってなお、フランシュシュだけはアイドルでいる。世界の多くの目が「見る」側になっている状況で、彼女達だけが「見られる」側にいる。彼女達がいる限り、私達は彼女達との間に「Live」を生み出せる。
 
そのあまりにも重い十字架を、それでもさくら達は背負っていくだろう。そう、本当に何があろうと。さくら達が成し遂げたことは、永遠のアイドルになるとは、きっとそういうことなのだ。
 
 

感想

というわけでゾンサガ2期の12話レビューでした。正直最初、面食らったのですよねこの最終回。1期みたいなドラマチックなどんでん返しが起きるわけではなく、CMカットで27分に増えた時間でたっぷりとライブシーンを見せる。あらすじで見れば単純を通り越して単調と言ってもいいでしょう。でも、だからこそ生まれているものは何なのか。毎度のことながら、そういうものを自分に納得させるために僕はレビューを書いている。結果的に「相互」と「蘇りと死」、「絶対と唯一無二」などこれまでのレビューで使用したキーワードも取り込んだ読み解きになり、最終回らしい満足感を味わえました。
 
私達視聴者に求め、同時に私達視聴者から求められるものにも応えようとした、そんな2期だったのじゃないかなと思います。スタッフの皆様、お疲れさまでした。
 

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はぁ、やっぱり紺野純子が一番かわいい。だらんと投げ出した腕がどうしようもなくかわいい。
 
 

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