ごっこ遊びの価値――「白い砂のアクアトープ」9話レビュー&感想

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©projectティンガーラ
波乱巻き起こる「白い砂のアクアトープ」。9話ではオープン予定の水族館から研修にやってきた南風原知夢(はえばるちゆ)とくくるが衝突する。二人の諍いの真ん中には、一体何があるのだろう?
 
 

白い砂のアクアトープ 第9話「刺客のシンデレラ」

建設中の水族館「アクアリウム・ティンガーラ」から研修のためにやってきた新人飼育員・南風原知夢(はえばるちゆ)。おじいの指示で彼女の教育係を任されたくくる。だが新たな水族館を認められないくくるは知夢をライバル視し、試すような態度ばかりとってしまう。その後も打ち解けられずギクシャクする2人は、風花と一緒にペンギンのお散歩を始めるが……?
 
 

1.否定される「ごっこ遊び」

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知夢の研修を任されることになったくくるだが、彼女達の仲は険悪だ。新しくオープンする水族館の人間を商売敵と認識しているくくるは攻撃的だし、そんな態度で接される知夢も表情こそ崩さないものの不快感を隠さない。海の生き物を愛する者同士最後には仲良く……などということもなく、知夢は指導相手を館長に代わってもらった上に見切りをつけて研修先を変えてしまう。二人の違いがもっとも現れているのは、別れの際の知夢の次の一言だろう。
 

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知夢「あなたはお仕事ごっこをして楽しいかもしれないけど、私は必死なの」
 
「お仕事ごっこ」……数千人の志望者が100館程度の就職先を争う狭き門をくぐり抜けて水族館へ来た知夢にとって、高校生のくくるやあまりにも長閑のどかながまがま水族館は偽物に見えている。この夏で閉館するようなところのありようを偽物と判断するのは一つの道理だろう。……だが偽物は、「ごっこ遊び」は全てが全て否定されるべきものなのだろうか?
 
 

2.ごっこ遊びの価値

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知夢「せめて残りの時間くらい、他の水族館できちんとした研修を受けたいんです。お願いします!」
 
知夢はくくるやがまがま水族館のありようを「ごっこ遊び」と否定する。彼女が求めているのは水族館勤務の本物の研修経験だからで、そこに論理の狂いは無い。ただ、一つ見落としもある。彼女の求める経験は、あたかも他の水族館の一員になったかのように働いてこそ成立する点だ。そう、研修とは偽物、「ごっこ遊び」なのである。
 

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くくる「聞けないよ。なんかちょっと、怖くて」
 
本物に価値があることは言うまでもない。しかし本物しかない世界はそれはそれで窮屈だ。知夢が最終日まではくくるを直接批判しなかったのは研修が続くのを考慮していたからだし、くくるは仏壇の引き出しにあった2冊目の母子手帳の本当の意味を怖くて聞けない。本物とは切れ味抜群の刀のようなものであって、扱いはそれなり慎重でなければならない。
 

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風花「君たち、魚は見ないの?」
子供「えー、見ないよ」
子供「全部知ってるもん!」

 

対して偽物は、「ごっこ遊び」はその無価値ゆえに本物よりずっと容易に触れることができる。本物に疲れた人間にとって、そのある種の軽さは救いにすらなるものだ。アイドルの夢破れた風花にとって、あくまで仮住まいのここでの生活が癒しになっているように。設備も古く子供がカードゲームをしたり客が掃除をしたりと水族館としては偽物のがまがま水族館での時間が、しかし確かに海の生き物へ興味を持つ場として機能しているように。
 

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くくる「櫂、ちょっと手貸して!」
櫂「……はいはい」

 

人は本物だけでは生きていけず偽物を、「ごっこ遊び」もまた必要としている。それは知夢の批判に憤懣やるかたないくくるが、櫂に格闘技ごっこに付き合ってもらってストレスを発散したことからも言えるだろう。
ただ、ごっこ遊びがしっかりと機能するには必要な条件がある。くくるが櫂に事前に断ったように、「ごっこ」としての認識が共有されていることだ。
 

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くくる「わたし、分かんなくなった」
風花「うん」
くくる「わたしはがまがまを守りたいのか、思い出にしがみついてるだけなのか……」
風花「どっちでもいいと思うよ。くくるはがまがまを大切に思ってて、私はその気持を応援してる」

 

ごっこ遊び」は対象を偽物と認識して初めて成立する。戦争と喧嘩(偽物の戦争)の区別が付かなければ手段は簡単に過激になるし、砂団子を本物の料理と認識したら子供はままごとでお腹を壊してしまう。そして人は、自分の認識の範囲でしか真贋を判断できない。知夢と仲良くできないことを祖母に諭されたくくるが迷ってしまうのは、本物であれ偽物であれその認識が定まらなくなってしまったからだ。彼女の登場を通してくくるは、自分が本物としか認識していなかったものを偽物として見る視点も存在することを知った。
 

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くくるはがまがま以外の水族館を知らない。海の生き物との接し方は知っていても、人との接し方は知らない。だから櫂からの好意に気付かないし、知夢にも無闇に攻撃的な態度を取ってしまう。
もちろんがまがま水族館や海の生き物との接し方に全く意味がない、全くの偽物というわけではない。しかし、それを偽物として扱ってこそ見える世界もまた確かに存在しているのだ。くくるが建設中の巨大水族館ティンガーラを見に行くことや、風花にかかってきた後輩からの電話は否応なしに二人の中の「本物」「偽物」を揺さぶっていくことだろう。
 
人には本物と偽物のどちらもが必要で、「ごっこ遊び」こそはその間を取り持ってくれる。しかし本物と偽物の認識が遊び相手とズレていたら、その遊びは成立しない。今回くくると知夢の間に起きた諍いとは、「ごっこ遊び」の前提の不一致だったのだ。
 
 

感想

というわけで白い砂のアクアトープの9話レビューでした。遅くなってしまいすみません。「ごっこ遊び」というワードは早々に浮かんだのですが、その取り扱いがまとまらずなかなか書くことができませんでした。この概念はくくるのがまがま水族館閉館阻止活動の総括にも使えるんじゃないかなあ、と。
 
立場と意見の異なる二人がぶつかり合うも最後は和解……みたいな定番の展開を少なくとも1話内ではやらなかった点も含め、1クール目の終盤が近づいてきたのを感じます。姉妹ごっことも言えるくくると風花の関係なども含め、今後が気になりますね。
 
 

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