戦いに留まらぬ道を見せる「境界戦機」。8話では廃村に逃げ込んだ人の生活を支援する八咫烏の活動が描かれる。今回はアメインの戦いは起きない。しかしこれも紛れもなく、境界を巡る戦いの話だ。
境界戦機 第8話「再生の槌音」
1.荒廃した境界線
ユウジ「親戚一家も同じ目に遭い、命からがらたどり着いたのがこの廃村でした」
この8話は復興支援のようなお話だが、注目したいのは今回登場する不動家の人達はもともとここに住んでいた人間ではない点だ。彼らには彼らの家があったが戦闘で破壊され、行く当てもなくやむなく20年ほど前に廃村になっていた場所に先ごろ落ち延びてきた。水道や電気は通っておらず公的な支援も受けられない彼らは、今のままでは野生児のような生活を送るか適応できず死ぬしかない。不動家は既存の生活圏の"境界線"の外に弾き出されている。
リコ「パパー!」(中略)ユウジ「この子は赤ん坊の時に父親を亡くしまして、時々こんなことを……」
境界線が見失われれば、そこにあるものは区切りを失って混沌を生む。廃村に身を隠す不動家の状況や、ガシンが不動家の少女リコにパパと呼ばれて誤解されたりするのはこうした境界線の荒廃の現れだ。今回アモウを始めとした八咫烏がするのは、概念としては境界線の整備なのだと言える。
2.ガイ達に許された手助け
前段では今回の描写が境界線の整備なのだと定義づけたが、次に考えてみたいのはその方法が非常に地道な点である。
ガイ「困ったら言えよ、手伝うぜ」アモウ「ありがと」ガイ「……ふう」
これまで本作はガイ達自律思考型AIの超絶的な計算能力によって様々な無茶を通してきた。ハッキングによる情報の書き換え、避難指示等など……しかし今回、彼らの出番は控えめだ。アメインに至っては一切登場せず、終盤難題となる岩盤をケンブの盾付短剣 で打ち抜くなどということもない。
ミスズ「どう?」
既存の生活圏から弾き出されている以上ガイ達の出番が少ないのは当然だが、同時にこれは今回の支援をより現実の復興・復旧作業に近づける効果がある。魔法同様の超テクノロジーで解決しては、それ自体が私達視聴者にとって境界線の向こうの出来事になってしまうのだ。
故に彼らや現代にない技術が手助けできるのはほんのわずかな領域のみ。岩盤を打ち抜くのに爆弾のような過剰な方法を避けるために、言ってみればより"文明的"な方法を採るためにだけ、ガイ達は参加を許される。アメインでぶち抜くというような強引な方法が採られないのもおそらく、こうした文脈から遠く離れたものではないだろう*1。
3.境界線を整備せよ
以上のように今回行われているのは境界線の整備であり、それは文明的な方法によってこそ為される。だからこそ今回描写される支援は対象そのものは極めて地道だ。左官作業、水車による発電、陶器作り……誰が見ても平明で分かりやすい生活の礎。そしてその究極として、噴出した水脈は発電に利用され灯となる。暗闇を照らす灯こそは、利便性としてもそれが精神にもたらす意味としても文明の象徴に相応しいものだろう。
同時に今回の支援は、アモウ達にとってもけして軽くない意味を持つ。ロボットアニメに多くの視聴者が期待するのが戦闘シーンなのは確かだが、それだけをしているのではアモウ達自身が戦闘マシーンと化してしまう。アモウには何かものを作る時間が、ガシンには失った家族との時間が、シオンには陶芸の時間がなければ人と戦闘マシーンの境界線が見失われてしまう。この8話は、彼ら自身にとっても境界線の整備だったのだ。
アモウ達の進む道は、けして敵を倒すだけのものではない。個人が、集団が文明的な――人間的な生活を送れる境界線を守ることこそ、彼らの戦いなのである。
感想
というわけで境界戦機の8話レビューでした。ジェルマンの登場できな臭くなるかと思ったらほんわか回だった。色々ツッコまれてそうですが、テーマ的にはこんな感じになるのかなと。アモウが叫んだ後で杭打機が繰り返し地面を打つのが「1カメ」「2カメ」「3カメ」みたいで地味に楽しかったです。この家が再登場する機会はあるのかしらん。
まさかミスズの照れ顔が見られるとは思わなかった。感謝。