全てが先生になる――「魔法使いの嫁 SEASON2」2話レビュー&感想

学院での生活が始まる「魔法使いの嫁 SEASON2」。2話は人間姿のエリアスが生徒から新しい先生かと問われる場面から始まる。"先生"は職業とは限らない。
 
 

魔法使いの嫁 SEASON2 第2話「Birds of a feather flock together.Ⅰ」

初めての授業。同室となる魔術師との邂逅。
慣れぬ世界に戸惑うチセだったが、アリスとの再会に胸をなでおろす。
2人の前には教壇に立つエリアスの姿。
魔術師が集う学院で”魔法”の授業が始まろうとしていた。

公式サイトあらすじより)

 

1.魔術の根本

カレッジ(学院)から誘いを受け、聴講生として通うこととなったチセ。最初の授業の際、教師ナルシス・モームは毎年のおさらいとして魔術の根本について語る。
 
ナルシス「魔術とは知るということだ。魔術を修めるということは統合的な知を修めるということ。古来我々の祖先は星を眺め風向きを読み、炎で占い水を探った。この世界を巡り満ち溢れるルールを解読し利用し扱おうとした」
 
「魔術は魔法から生まれたというものもいるがそれはいささか端折り過ぎだ。魔術は古代に獲物を望む部族の歌から生まれたとも、冶金技術や医術、錬金術と共に生まれたとも、また魔法に疑問を持つ者達から生まれたとも言う。しかし共通するのは世界を知り扱うためだ」
 
「世界の全ては密接に関わり合う。それ故君達は一つの魔術という解答に至るためありとあらゆる感覚を研ぎ澄まさなければならない。血や内臓の動き、声や音、触覚、星の瞬き、風が吹いた後の木々のゆらぎ、光と影のあわい、宝石を舐める炎、水の流れ、大地の構成……」
 
「あらゆるものを観察し記録し実践し失敗し、かすかな成功を目指し給え。カレッジは何も知らない航海者に海図の読み方から教えるところだ。柔軟であれ大胆であれ不屈であれ! 自分を磨き失敗を恐れぬ者だけが知るという楽園にたどり着ける! みな大いに間違え大いに失敗し、大いに訪ねて楽しみ給え!」

 

恒例の挨拶とあって生徒達はおろかナルシス自身も飽き飽きした様子があるが、このおさらいが空疎なスローガンでないことはカレッジが本物の魔法使いであるエリアスを招いて魔法の授業を行っていることから伺える。
 
エリアス「"彼ら"が嫌だと言ったら諦めなさい。君達は魔術師の卵だ。魔法が使えずとも支障なんて無い」
 
エリアスが臨時教師となったのはチセを心配して一緒に通うためであるし、本作の魔法と魔術は別物であって本来魔術師が学ぶ必要のないものだ。そのことは今回の授業で生徒に魔法を使う機会を与えた際、魔術師の卵が魔法を使えずとも支障など無いと断っていることからも明らかである。では何のためにこの授業を行うのか? ヒントは先の魔術の根本のおさらいを振り返れば見えてくる。魔術とは知ることであり、あらゆるものが観察や記録の対象になるとナルシスは語った。であれば魔術と直接関係がなくとも、隣接分野である魔法について"知る"のは大きな学びになる……というのが魔法の授業を行う理由なのだろう。
 
自分の分野について知るためには他分野からの学びが欠かせない。専門知を学ぶ上での基礎姿勢と言えるが、これは実のところ教師の直接的な教えに留まらない。
 
 

2.全てが先生になる

ナルシス「あらゆるものを観察し記録し実践し失敗し、かすかな成功を目指し給え。カレッジは何も知らない航海者に海図の読み方から教えるところだ。柔軟であれ大胆であれ不屈であれ! 自分を磨き失敗を恐れぬ者だけが知るという楽園にたどり着ける! みな大いに間違え大いに失敗し、大いに訪ねて楽しみ給え!」
 
教えは教師の直接的な指導に留まらない。これを考えるにあたって振り返りたいのは、やはり先の魔術の根本のおさらいである。このおさらいでは生徒達に間違いや失敗を大いに推奨しているが、エリアスの魔法の授業でも失敗は学びの重要なファクターになっているためだ。
 
エリアス「だから諦めろと言ったんだ」
 
エリアスはカレッジ内の"隣人"に頼んで生徒達が魔法を使う機会を設けた際、魔法は隣人との相性だから嫌がられたら諦めるように、くれぐれも彼らの機嫌を損ねないように……と念押しした。しかし幼い生徒の一人は隣人サラマンダーに断られたことに腹を立てて罵倒した結果、逆鱗に触れてあやうく焼き殺されそうになってしまう。エリアスが素早く反応したため事なきを得たが、この危機は生徒達に魔法の危険性を嫌とでもいうほど"教える"機会となった。エリアスという教師が直接教えたのではなく、隣人の機嫌を損ねるとどうなるか嫌でも記憶に残る事態を目にした結果として学んだのだ。
 
ウィル・オー・ウィスプ「つまり何もかもが対等だ。お前らみたいに安易に命捧げたり繋げたりしてねーからな」
チセ「安易……」

 

学びは直接的な教えからのみ生まれるわけではない。例えば魔術師の卵である生徒達が魔法使いの長命について語ればチセはそこから自分はどうなるのかと考えるし、エリアスの本当の姿を見た生徒達の話から私達は魔術師の中には実験で肉体が「転変」する者もいると知ることができる。今回チセが薬屋の時の話し方が癖になっていることに気付いたり、既知の仲のアリスが妖精ウィル・オー・ウィスプと契約したことで自分と使い魔ルツの関係の比較対象ができたことなども学びの内に数えられるだろう。目に見える出来事はもちろんのこと、間違いや失敗も含めあらゆるものは魔術を修める機会に――統合的な知を修める機会になり得る。それはチセ自身・・・・も例外ではない。
 
リアン「単刀直入ですまないが」
チセ「はい」
リアン「魔法使い、俺に魔法を教えてくれないだろうか」
チセ「……え?」

 

エリアスを探し歩いていたチセは、学生の一人であるリアン・スクリム=ジョーから魔法を教えてほしいと言われて目を丸くする。魔術師の卵の彼がなぜそこまで魔法に関心を寄せるのかは不明だが、そんな彼にとって魔法使いのチセが"新しい先生"に見えるのは当然ではある。同時にリアンに魔法を教えるか否か、教えるのであればどのようにするかもチセにとっては新たな扉を開く経験になることがラストでカレッジ内の謎の扉が開く様からは見て取れる。
 
チセ(うちの暖炉のサラマンダーとは色が違うな……)
 
魔術は技術的には専門知だが、あらゆるものを対象とできる点ではおさらいの通り統合的な知だ。いや、学びというのは本来、専門的なものと統合的なものを結びつける術を身につけることなのだろう。それは見ようによってはおそらく、自分と世界を繋げる術でもある。
学びを志す時、全ては私達にとって新しい先生になるのだ。
 
 

感想

というわけでまほよめのアニメ2期2話レビューでした。想定はしていましたが、レビューを書くのが難しい作品だなと思います。「全てが先生になる」というテーマを見つけた後も、専門知と総合知の兼ね合いからレビューの構成に手間取りました。こうやって言葉にしてみるととてもまっとうに「学校」を描いているなとも感じますが。アニメレビューを書く上でも、アニメを通して世界を考える上でも(単に知識をコレクションするという意味ではない)心に留めておきたい部分があります。
さてさて、生徒もたくさんいますが今後はチセとどう絡んでいくんでしょう。各人の思惑が楽しみです。
 

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