最良と最悪――「ダークギャザリング」2話レビュー&感想

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

裏返りの「ダークギャザリング」。2話ではお祓いに訪れた螢多朗が大ピンチに陥る。彼にとって夜宵はどんな存在なのだろう?

 

 

ダークギャザリング 第2話「幻燈河螢多朗」

霊障を抑えるため、螢多朗、夜宵、詠子の3人で『淡宮神社』へお祓いに行く事に。お祓いを終えて疲れきった螢多朗は、曰く付きの人形達が祀られている宝物殿へ導かれてしまう──。

公式サイトあらすじより)

 

 

1.相性最悪の霊感少女、相性最良の霊感老女

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

夜宵「螢多朗、心霊スポット行こう」

 

霊媒体質の引きこもりから脱し、社会復帰を志す青年・幻燈河螢多朗。彼が家庭教師になった天才少女・夜宵との騒動が描かれる本作。最初に「彼にとって夜宵はどんな存在なのだろう?」と書いたが、ぶっちゃけてしまえば答えは冒頭で語られている。「相性最悪の霊感少女」だ。なにせ現世と幽世の両方を見ることのできる彼女は幽霊が大好きで、(表面上の振る舞いに過ぎないと指摘されているが)オカルトの類が嫌いな螢多朗とはまるきり合わない嗜好の持ち主である。前回などはそれに巻き込まれて危うく死にかけたのだから、相性最悪の霊感少女と螢多朗が考えるのも当然のことだろう。そして、彼がお祓いに向かうこの2話では夜宵と正反対の立ち位置の人物が登場する。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

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董子「螢ちゃん、ちゃんと瞑想してるか?」
螢多朗「うん」
董子「ちゃんと飯食って運動してるか?」
螢多朗「うん、ちゃんとやってるよ」

 

お祓いのため訪れた遠方の神社で螢多朗を迎えたのは淡宮董子なる女性……螢多朗の祖母にして人形供養の淡宮神社の神主であった。螢多朗は右手に異常発生し霊媒体質の一因ともなる神経を定期的に彼女に切除してもらっており、つまり董子は彼がオカルトの類に会わないための最大の支援者に当たる。切除の際に幽霊対策を語られる螢多朗が非常にリラックスしている姿からも分かるように、常にオカルトの類に悩まされてきた彼にとって董子と話している時ほど心休まる時はないのだろう。すなわち董子は夜宵とは正反対の「相性最良の霊感老女」であり、その性質は悪霊を封じていた地蔵をわざわざ壊す罰当たりな夜宵とは対極に位置する。だが、世の中は「良」いものだけがあれば回るわけではない。

 

 

2.好事魔多し

「好事魔多し」という言葉がある。説明するまでもないかもしれないが、好調な時ほど邪魔が入りやすいことを指す言葉だ。螢多朗は今回、この言葉がぴったりの状況に遭遇する。

 

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董子による神経切除は無事成功し、螢多朗の右腕は夜宵も驚くほどその特性を弱めていた。これで当面は一安心……しかしトイレに行った帰り道、彼は呪いの人形に意識を操られて神社の地下の宝物殿に足を踏み入れてしまう。そこは人形を供養する淡宮神社の中でも特に危険な人形が祀られる立入禁止の場所で、董子に言い含められて以来螢多朗もずっと気をつけてきた場所だった。

 

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螢多朗(いつもちゃんと気をつけてたのに……なん、で……?)

 

悪霊に対抗する備えのある場所だからこそ危険な悪霊が多く封じ込められていたこと。神経切除で螢多朗も董子も激しく消耗していたこと。切除が済んてすっかり油断してしまっていたこと。好条件は裏返せば全てが隙となる悪条件であり、螢多朗は見事付け入られてしまった。まさしく「好事魔多し」だ。そして、供養されて消えまいと体を交換しようと目論む人形に襲われ絶体絶命の危機に陥る螢多朗を救ったのは董子……ではない。彼女の御神刀を持って駆けつけた夜宵であった。

 

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夜宵「人間に手を出しちゃ駄目。今度、1回でもやったら全員刎ねる」

 

夜宵の悪霊退治は暴力的である。祝詞など唱えはしないし、呪い人形の髪が切れないと見るやその体をバールで固定、地面に突き刺した御神刀に飛び乗り即席のギロチンにして首を刎ねるなど神職の人間ならけしてするまい。おまけになんと彼女は、「人間に手を出したら全員刎ねる」と宣言して周囲の他の人形を黙らせてしまった。ありていに言えば、夜宵は他の呪い人形を脅迫して黙らせてしまったのだ。およそ常人の鎮め方ではない。

 

夜宵は螢多朗にとって「相性最悪の霊感少女」である。しかしそれにも関わらず、今回彼の命を救ったのは相性最良の董子ではなく最悪な夜宵の方だった。悪霊とあらば首を突っ込む日々を過ごす人間であるが故に恐ろしい宝物殿にも臆せず飛び込めたのだから、これは好事魔多しの逆で捨てる神あれば拾う神ありといったところだろう。

 

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そう、最良と最悪は常に固定されているとは限らない。亡母の霊を取り戻すため悪霊を狩っている夜宵は今回も螢多朗を助けに行くなど優しい少女ではあるし、董子も事件後見送りの際、自身の霊媒体質を最悪のものと考える螢多朗に励ましの言葉を送っている。「螢ちゃんの感じる力は自分と友達を守れる力だよ。不幸なもんでも恥じるようなもんでもない」……と。確かに螢多朗は夜宵の霊感と孤独さを自分に重ねている部分があり、だからこそ彼女に向き合おうとしている。呪わしいばかりに思える霊媒体質も、見ようによっては良き共感能力として作用し得るのだ。

 

最良は最悪になり得るが、最悪もまた最良になり得る。これは一つの真実であり、物語が私達に送る教訓としては十分なものに思える。……ただ、本作はそんな大人しい作品ではない。

 

 

3.最良と最悪

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夜宵との最悪の相性が一面では最良のものであるとも知り、彼女と向き合っていこうと決めた螢多朗。しかし夜宵の壊した地蔵を鎮める置物の飾り付けのため案内された彼女の部屋で、螢多朗は恐るべきものを目にする。暗い部屋の棚一面に並べられたのはたくさんのぬいぐるみ、否、ぬいぐるみに封じられた選りすぐりの悪霊達。しかも夜宵は首を刎ねた呪い人形を勝手に持ってきており、切除した螢多朗の神経で首を繋いで苦痛を味わわせる鬼畜の所業でそれを無力化していたのだ。夜宵の部屋はなんと、淡宮神社の宝物殿も比較にならない危険地帯であった。

 

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螢多朗(分からないんだ、詠子には。霊感がないから!)

 

恐れおののく螢多朗は夜宵と同居する幼馴染の詠子に早く部屋から離れるように言うが、霊感のない彼女には夜宵の部屋はただのぬいぐるみコレクションでしかない。螢多朗が部屋に感じる恐ろしさを理解できる者が夜宵以外いないというのは、ある意味先程の螢多朗の霊感が共感能力として作用したのと同じようなものであろう。ただし、最悪な形の。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

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最良は最悪になり得るが、最悪もまた最良になり得る。これは一つの真実ではあるが、夜宵と螢多朗の場合この表現は生ぬるい。彼らの間で起きているのは夜宵が部屋で悪霊どもを食い合わせているのと同じ、最良と最悪の”蠱毒”だ。社会復帰を目指す螢多朗は夜宵と向き合う中でまともさとまともでなさを食い合わせていくし、彼と夜宵の関係も常に緊張感……というより緊迫感に満ちたものになっていくことだろう。それほどまでに二人は社会の常から外れた存在だと言える。
螢多朗にとって夜宵は最良でも最悪でもある。そしてそれらを食い合わせて呪いを為すが故に彼女は「相性最悪の霊感少女」なのだ。

 

 

感想

というわけでダークギャザリングの2話レビューでした。前回と打って変わって、今回は非常にすんなり書くことが浮かんで一安心。いや、たぶん今回だけです。来週からはまた火曜か水曜です。
レビュー中でも触れた董子の励ましの言葉に涙が出そうになりました。ここにあるのは呪いだけなのだけど、それでもきっと。夜宵のアクションも前回に負けず劣らず格好良く、次回への期待がますます高まる2話でした。

 

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