矛盾の皿――「アンデッドガール・マーダーファルス」3話レビュー&感想

© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

謎解きの段を踏む「アンデッドガール・マーダーファルス」。3話では探偵の中でピースが揃う。事件解決に必要だったのは”皿”である。

 

 

アンデッドガール・マーダーファルス 第3話「不死と鬼」

ゴダール家で起きた吸血鬼殺害の調査を続ける<鳥籠使い>一行。内部の犯行を疑う鴉夜は、事件当時のそれぞれの行動を聞き出していく。そしてゴダール卿と共に、西の森へと出かけるが―――。

公式サイトあらすじより)

 

 

1.外部犯説vs内部犯説

人類親和派の吸血鬼ゴダール卿の妻が殺害された事件で彼に招かれ推理をすることになった不死の生首探偵・輪堂鴉夜。事件の全貌は未だ明かされないが、この3話は1つの明確な対立劇の構図で描かれている。「外部犯説と内部犯説の対立」だ。

 

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ゴダール卿「輪堂さん。城の者の中に犯人はいませんよ」

 

外部犯説を唱えるのはゴダール卿である。彼らは最近もヴァンパイアハンターに襲われたばかりだし、人間の血を吸わないと宣言して法律上は人間と同様の権利を得ているものの実際は社会的差別を受け続けているのだからそう考えるのはもっともな話だろう。マスコミも含め、外部犯以外の犯行を考えた者は誰もいなかったというのが実情だ。警察もまともに捜査してくれないため犯人を見つけるべくゴダール卿は鴉夜に依頼をしたわけだが、彼女の推理は思ってもみないものだった。鴉夜はなんと、犯人は内部にいると言い出したのだ。

 

なぜ犯人は犯行が可能な時間帯を知っていたのか、なぜ倉庫から持ち出した銀の杭をわざわざ戻していったのかなど外部犯説には確かに疑問点が多い。前回それらを指摘された際のゴダール卿の泳ぐような目の動きもその印象に拍車をかけている。だが、だからと言って内部犯と決めつけるのはいささか躊躇われるのも事実だ。……内部の人間には動機が無いのである。

 

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ラウール「どうしてそんなこと聞くわけ? それってつまり、僕らを疑ってるってことだろ!?」

 

高貴な一族の家で起きる殺人事件と言えば資産や血族絡みのゴタゴタが定番だが、ゴダール卿の家族や使用人にはそういった諍いは見受けられない。アリバイだけ見れば彼の息子クロードや執事のアルフレッドが犯行が可能だが、息子が母親を、あるいは20年に渡って使える執事が主人の妻を殺すような因縁は少なくとも現時点では無い。

 

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鴉夜「事実に基づき論理的推理を進めた結果、2つの矛盾した条件がぶつかり合っており目下検討中だ」
津軽「よく分かりませんが?」
鴉夜「そう、よく分からないということだ。よく分かってるじゃないか」

 

外部の犯行としては無理があるが、内部の犯行に至る理由も見えない。鴉夜の言う「2つの矛盾した条件がぶつかり合って」いるというのがこれに当たるかは不明だが、素人の私達程度の頭で考えた時にぶつかるのがこの問題なのは確かだろう。だから事件と向き合うなら、犯人に限らず内部と外部がバラバラにならないように・・・・・・・・・・・・・・・・・・考えなければならない。

2.矛盾の皿

内部と外部がバラバラになってはならない。抽象的な物言いを更に抽象的に換言するが、これは鴉夜達がゴダール卿達と「付かず離れず」の関係でなければならないことを意味する。

 

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鴉夜「つまりここ1週間酒を飲んでいない。なぜか? 誰かに酒を止めるよう強く言われたんだ。夫が汚した服を洗い続けることにウンザリした几帳面な奥さんとか」

 

例えば今回冒頭、ゴダール卿の息子達は鴉夜達への不信を顕にし安いペテン師ですらないかと疑ってかかるが、彼女達が探偵であることは認めざるを得なくなった。彼女達がゴダール卿のところへ到着したのをこっそり見ていたつもりが気付かれていたり、御者のマルクの服の汚れから彼が妻に酒場通いを禁止されていると見抜く細緻な推理を披露されてはぐうの音も出ないのも仕方ない。ただだからといって関係が良好になるかと言えばそんなことはなく、自分達が母を殺した可能性があるなどと指摘されればやはり憤慨もする。クロードに至っては「あんたらは無駄骨を折ってる」と露骨に脅迫してきたほどで、つまりここには探偵としての評価と腹を探られたくない緊張感という「付かず離れず」の関係がある。

 

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ルフレッド「ああすみません、ついご主人の悪口を……」
静句「いえお構いなく。私はあのような最低クズのエセ噺家野郎には仕えておりませんので。私がお仕えしているのは輪堂鴉夜様ただ一人です」

 

また鴉夜のメイドの静句は彼女に指示でゴダール卿の執事アルフレッド、メイドのジゼルと行動を共にするが、ここでも漂うのは奇妙な一体感と緊張感である。3人はいずれも使用人だからそこに共通の話題が生まれもするが、二人の監視を命じられている静句はアルフレッドが書斎に行くのを制止しそこに緊張が生まれもする。かといって全く敵対的かと言えばそんなこともなく、ゴダール卿を連れ出した津軽の奇妙な行動にアルフレッドがうっかり不平をこぼせば静句の口から出てくるのは非難どころか彼以上の津軽への罵倒だ。これもやはり「付かず離れず」と言える。

 

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ゴダール卿「輪堂さん。それはひょっとしてあなた達のことではないんですか? 不死と鬼……」
津軽「師匠、バレました」
鴉夜「あっさり認めるんじゃない」

 

「付かず離れず」に何の意味があるのか? それは新たな視点の獲得だ。世の中にはぴったり付いていたり、あるいは逆に遠く離れていては見えない視座というものがある*1。事件の日に狩りをした現場を見せてほしいと鴉夜と津軽に頼まれたゴダール卿は、案内の中で二人がそういう存在であると知ることになる。

 

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鴉夜「おや、闇討ちですね」
ゴダール卿「ええ、ランタンの灯りが強過ぎたようです」

 

鴉夜と津軽は吸血鬼ではない。しかし吸血鬼のように勘が鋭く、まして首だけで生きていられる人間がいるわけもない。案内のさなか、父から聞いていた話を元にゴダール卿は彼らが日本の「不死」そして「鬼」と呼ばれる怪物だと結論づける。このあたりの会話劇はまるでゴダール卿が探偵役になったように見えるほどだ。ただ直後にヴァンパイアハンターに闇討ちで首に矢を受けてもゴダール卿が平然と反撃して取り押さえる様子から分かるように、傷を受けてもたちどころに再生したり人間を超えた身体能力を誇る点で不死や鬼は吸血鬼に非常に近い性質を持っている。二人は吸血鬼でも人間でもなく、しかしそれらとまるで異なる存在というわけでもないのだ。ゴダール卿は襲ってきたヴァンパイアハンターが事件の犯人に違いないと殺害しようとしたところを鴉夜の推理によって否定され逃されもするが、この夜の散歩は鴉夜と津軽が吸血鬼からも人間からも「付かず離れず」の存在だと彼が認識する機会になったと言えよう。

 

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この3話、津軽は興味深いことを口にした。「獣の血でもああやって皿に盛りつけりゃあ、なんだか高い料理みたいに思えてくるから不思議なもんです」……と。振り返ってみれば、彼がそう評した食事の場面は確かに不思議である。時刻は午前0時だが吸血鬼にとってみれば昼食の時間であり、よそられ注がれた獣の血はスープや赤ワインと見た目は大差ない。また津軽は人間同様の食事をしているが、ナイフを入れればあふれ出す肉汁は血とどれほどの差があるものだろうか。もちろん両者の食事は体質として交換できない別個のものだが、命を糧にしている点で変わりはしない。一緒にすれば矛盾するものがしかし、同種の皿に盛り付けられることで「付かず離れず」になって同居できているのである。そう、「付かず離れず」はスタンスに留まらずおそらく事件のヒントとしての意味を持っている。

 

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鴉夜「この滑稽で悲惨な、ファルス(笑劇)めいた事件を終わらせましょう」

 

鴉夜が指摘するように、この事件の外部犯説には疑問点が多々ある。しかし内部犯説を考えた鴉夜もまた、矛盾に突き当たり結論を出せずにいた。そして彼女がゴダールを襲ったヴァンパイアハンターのヨーゼフから聞いたのは、事件前にゴダールを襲い屋敷に凶器となる銀の杭をもたらした男フーゴには何か協力者がいたらしいという話であった。結論は次週にお預けだが、それはきっと外部犯説と内部犯説双方から「付かず離れず」で、両者を冒頭の食事のように同席させてしまえる何かなのだろう。津軽に見えを切らせ鴉夜が宣言するように、それらを盛り付ける準備は遂に整った。
事件解決に必要だったのは”皿”である。矛盾するものを付かず離れず同じもののようにしてしまう皿、矛盾の皿を鴉夜は見つけ出したのだ。

 

感想

というわけでアンファルの3話レビューでした。引っ張るな!と最初は思いましたが、レビュー中でも書いたように津軽の台詞が妙に印象に残りそこからまとめていくとこんなレビューになりました。予想じゃないのに予想のようになってしまい、次回がどうなるか大変にドキドキしております。
たぶんこれは人間と「吸血鬼」の関係、そして鴉夜達の立ち位置を示すお話でもあるのでしょうね。時計の針のように回る鴉夜の首、ランタンと鳥籠といった重ね方にも目を引かれた回でした。

 

*1:念のため書いておくと、これは世に流行る自称的な「中立」や「是々非々」のことではない