私とあなたの夢現ーー「幻日のヨハネ」5話レビュー&感想

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飛び出そう「幻日のヨハネ」。5話ではマリがワーシマー島からの一歩を踏み出す。必要なのは夢と現実の区別ではない。

 

 

幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR- 第5話「まおうのひみつ」

 

 

1.人間不信と自己不信

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マリ「この角もそう。この町に何が起きているのか、その警鐘を鳴らすための力……」

 

都会からヌマヅへ戻ってきた少女ヨハネを主人公とした本作だが、今回の中心はマリという少女だ。ワーシマー島に住む彼女は魔王の家系に連なり、頭に生えた角には遠く離れたヌマヅでヨハネが「占い屋」の仕事をしている音も分かるほどの力がある。彼女はこれはヌマヅに異変が起きている時に警鐘を鳴らすための力だと言うが、一方で自身でヌマヅへ赴いたりはせずその生活圏はワーシマー島に留まっていた。優れた力を持つその耳はうっかりすると聴きたくないものも聴いてしまう耳であり、マリは好奇や嫌悪の目線を向けられることを恐れていたのだ。

 

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マリ「ウチウラに入る橋が軋んでいます。一度確認したほうが良いでしょう。広場の滑り台が傷んでいます、長くは持たないでしょう」

 

ファンタジックに角によるものとして描かれているが、マリのこれは現実にも通じるある種の感覚の鋭敏さである。環境の変化の予兆として特定の生物を見かけなくなったであるとか、倒壊する建物が先触れとして出していたシグナルであるとか、小さな違和感を見つけられる知識や感覚の持ち主*1……ただ、日々の生活に追われる私達は、ともするとそういった人を変人として排除してその声に耳を傾けようとしない。数十年前から言われていた地球温暖化が、最近ようやく誰からも「近頃の夏は以前と違う」と認識されるようになったのはその一例に挙げられるだろう。ただ、マリが感じているのはそれだけではない。

 

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マリ「この角で色んな声を聴いたわ。悲しいことや報われないこと……わたしも同じだった。だから、外にはいいことなんかないんだって思うことにしたの」

 

優れた感覚を持つマリはしかし一方で、人々に対し過剰な警戒感も抱くようになっていた。その角は人々の醜い部分、嫌な音も聴き取るものだから無理もない。優しい人が別の場面では誰かを虐げていたり嘘をつくのを耳にしたこともあったのかもしれないし、そういった経験が続けば人間不信にもなろうというもの。人々が気付かないような小さな事実に耳を向けられる一方で、存在しない事実を幻聴してしまう能力の暴走状態に今のマリはある。他人も自分も信じられなくなっている、と言ってもいいかもしれない。そしてその克服に必要なのは客観的証拠に基づき虚実を峻別する判断力……ではなかった。

 

2.私とあなたの夢現

優れた感覚を持つが故にある種の幻覚に苦しむ人を救うにはどうしたらいいのか。そのヒントは、マリと友達になりたいと奮闘するヨハネを始めとした皆の様子から見えてくる。

 

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ヨハネ「妖精だったから隠れていたの?」
ルビィ「それだけじゃないけど、やっぱり皆と違うと周りの目が気になっちゃって。皆が変だって思うわけじゃないのに、どう思われるのか知るのも怖くて……」

 

例えば今回は行政局執務長官ダイヤの妹のルビィが再登場する。妖精族でもある彼女は最近までは人からは隠れて生活しており、そこには人と違う自分が他者からどう思われるかを知ること自体への恐怖があった。ルビィはもちろん魔王ではないのだが、彼女が感じていた恐怖はマリのそれにどこか似通っている。
またヨハネの相棒の狼獣ライラプスは彼女とマリが自分で自分を決めつけすぎるきらいがあるのは同じではないかと指摘したり、ヨハネに相談された友人のカナンとヨウはそういう気分は自分にもあると共感するが、これは考えてみれば奇妙なことだ。ルビィを含め彼女達は誰も遠くのことを聞ける耳など持ってないのに、その心理だけはなんとなく分かっているのである。時代や国が遠く離れた人の言葉が共感を呼ぶこともあるように、私達の心理はある程度はパターンめいたところがあるのだろう。だが、だからと言って結局はみな同じなのかと言えばそれもまた誤りだ。

 

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ヨハネはルビィ達のことを話して同じであると伝えようとしたが、際立ったのはむしろ差異の方だった。感謝している人もいるというのはマリからすれば内心は分からないとなるし、皆を信じたいと言ったヨハネは「信じる」という行為がとても怖いものであることを指摘される。差異というのは、全く違うよりむしろ共通点の裏返しでこそ目立つものだ。
しかし一方で、意見が合うことなく終わったはずのヨハネとマリの会話は二人に同じような変化ももたらしていた。決めつけていたのは自分の方ではないか? 他人のせいにして逃げていたのは自分の方ではないか? 相手の姿勢に変化をもたらしたくて交わしたはずの言い合いがもたらしたのは共にむしろ己への反省で、つまり二人がやはり似ている事実であった。

 

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マリ「皆の目が、声が、やっぱり怖い……!」

 

「似ている」というのは難しい。全く同じでも、逆に全く違っていてもそれは似ているとは言えない。「似ている」が成り立つためには同じところも違うところもどちらも必要で、時にそれは恐怖ももたらす。例えば勇気を振り絞ってヨハネと一緒にヌマヅへ行ったマリは、子供達が自分の使い魔に向ける好奇の視線に連鎖的に自分もそう見られているような錯覚に陥ってしまった。
けれど一方で「似ている」は簡単に成り立ちもするものだ。人々の方を見ることのできなくなってしまったマリに対し、ヨハネは自分も目を閉じることで彼女と「似た」状況を作り出した。

 

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ヨハネ「せーので開けてみない? そしたら世界が変わってる。……はず」

 

マリは実際にはこの時はもう目を開けていたのだが、ヨハネに促されてもう一度目を閉じ、合図で同時に目を開けた。それがある種のおまじない……つまり「魔法」だと感じたからだ。事実、そうやって心を落ち着けてみれば周囲の人は角の生えた彼女を腫れ物のようには見ていなかった。むしろ町の人々はマリがその能力で建造物の倒壊などを警告してくれていたと知っており、彼女に感謝すらしていたのである。人々の前で初めて微笑み、その様子をヨウの従姉妹にして写真館の店主であるツキに撮影されたマリはもはやすっかり町の人の「似た者」の一人であった。

 

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楽しいひとときを過ごし、少し傾いた陽の光を浴びながら二人は言う。「ヨハネ、今日は連れ出してくれてありがとう!」「違うよ、マリが自分で出たんじゃん」……言葉の上では対立していても、ヨハネがマリを連れ出したのも最終的にはマリが自分で同行を決めたのもどちらも事実だ。さきほどヨハネがマリに「魔法」をかけられたのは、この経緯を見ればむしろ当然のことだったのかもしれない。マリに必要だったのは虚実の、個々人の峻別ではなく、むしろより不確かで曖昧なそっくりさで包み込まれることだったのだろう。

 

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特別な力を持ちながらその心は人と変わらないマリと、何の力もないはずなのに相手の心に不思議をもたらしたヨハネ。二人はまるで夢と現のように対照的で、けれどだから似てもいる。そして、私達は夢現の中ではいつも不思議な体験をするものだ。
私とあなた。夢と現。そういう「似ている」ものが共にある場所に魔法は生まれるのである。

 

感想

というわけで幻ヨハの5話レビューでした。本作は「魔法」と「場所」をキーワードに読み解きを試みていますが、ヨハネが具体的にマリに魔法をかけているのに気がつくのにちょっと時間がかかってしまいました。「魔法」が割と万能なので、こちらについてはもうちょっと絞って見てみるようにした方がいいのかもしれません。前回作ったブランコは今後も良い舞台になりそう……


良くも悪くも本作は個人の内面にスポットを当てる作品である、というのが分かる回だったのではないかなと思います。さてさて、マリの持っていた本と現実が「似ている」状況になっていく引きからの次回はどうなるんでしょう。

 

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*1:劇中でもマリは、その耳で察知した橋やすべり台の不具合を行政局に伝えている