触らぬ神に祟りなし――「ダークギャザリング」9話レビュー&感想

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

神をも恐れぬ「ダークギャザリング」。9話で明らかに危険な霊に遭遇した螢多朗は気付かないふりをする。「触らぬ神に祟りなし」というわけだがもちろんこの霊は神ではない。では、今回の本当の神様は一体誰だろう?

 

 

ダークギャザリング 第9話「瀆神」

darkgathering.jp

 

1.触らぬ神に祟りなし

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

夜宵(あれは……脳髄……?)

 

間一髪で愛依の救出に成功した螢多朗達だが、部屋には彼女に取り憑いた神のエネルギーに引かれて危険な霊が入ってきていた。螢多朗達は無事脱出できるのか……?

 

悪霊が数多現れる「ダークギャザリング」だが、この9話で登場するのはこれまででも特に恐ろしい霊だ。背後から忍び寄って標的の脳幹をちぎろうとしたり、建物の存在しない階に引きずり込んでなぶり殺しにしようとしたり……更に言えばこの霊は諸悪の根源などではなく愛依に取り憑いた神のエネルギーに導かれて集まってきたに過ぎず、この神は夜宵の自室の悪霊相互拘束をものともせず突破する驚異的な強さと見初めた愛依を取って食おうとする身勝手さを持っている。「やばいお化けを集めて悪霊を食い殺そう」と夜宵は言うが、今回の話ではそのやばさのステージが一段上がった感がある。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

見るからに危険な相手が近くにいる時、どうするか? 一番単純な対策は「気づかないふりをする」ことだろう。愛依の部屋で前者の霊に遭遇した際に螢多朗がとった方策も、絶叫したり慌てて部屋に戻るのではなく触れず語らず用を済ませて夜宵達のところへ戻り、そのまま急いで退室を促すというものだった。ぬいぐるみの形代がなければ脳幹を引きちぎられて死んでいたとはいえ、彼は「触らぬ神に祟りなし」を実践してのけたと言えるだろう。そしてその後も彼らの追跡を続けた霊は、己の所業が元でとんでもない目に遭うことになる。

 

 

2.神と神

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

夜宵「私を追い過ぎ。だから足元に気付かない……狩る側だと思ってる奴の悪い癖」

 

夜宵、愛依、そして詠子を促し急ぎ部屋を出た螢多朗だったが、霊の追跡は執拗だった。どうにか逃げ切れたかと思いきやしっかり追いかけてきており、一番の標的である愛依を狙うも彼女に取り憑いた神に弾かれた霊は狙いを変えて螢多朗を捕獲。螢多朗はエレベーターに滑り込んだ夜宵と共に存在しないはずの地下階に送り込まれてしまう。そしてそこで知ったのは、この霊がただ脳幹をちぎるだけでなく標的を半死半生の状態で弄んだり殺した霊を脅迫して使役する外道な霊だということだった。
霊としてはおそらく、地下階に引きずり込んだ時点で己の価値を確信していたことだろう。だが、彼には一つだけ計算違いがあった。滑り込んできた夜宵は霊関連のスペシャリストであり、そして螢多朗が彼女のベストパートナーであったことだ。夜宵をただの子供と侮った霊は文字通り足元をすくわれ、彼女が使役する悪霊に霊体の大半を食われてしまう。……そして、本当に恐ろしいのはここからだった。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

夜宵「消えることを許さず、苦痛が延々と続く永久機関のカラスよけ。これを『等活地獄システム』とでも名付けようか」

 

生きる屍も同然(というのも奇妙な表現だが)となった霊が受けた仕打ち、それは愛依の部屋の「カラスよけ」として使われるというもの。愛依を目当てに集まる悪霊をカラスに見立て、彼らの恐怖を煽る道具としたわけだがそのやり口は味方であるはずの螢多朗をして絶句させるものだった。夜宵は頭と脳幹だけになった霊を愛依の部屋に閉じ込め、彼に殺され恨みを持っている霊が自分がされたのと同様にその脳幹を傷つけるようにしたのだ。しかもこの部屋では愛依から漏出する神のオーラが少しずつ霊体を回復させるので死ぬこともできず、霊は数年もしくは十年以上に渡ってこの苦しみを味わうことになる。自業自得の範囲ではあるが、この霊も他の霊に食われるならともかくこんな拷問を受けるとは思いもしなかったろう。全ては襲いかかったのが夜宵であったため――夜宵に触れたためだ。そう、この霊は夜宵に「祟られた」のである。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

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夜宵「神様には、一同総出で奴隷の位を用意奉る」

 

祟りとは一般的に、霊や神が人に災いを為すことを言う。すなわち彼らは自分が「祟る側」だと思っている。だが思い出してほしい、夜宵は自分が「狩る側」だと思っている者の油断を突いて逆に狩ることをこそ得意としているのだ。逆転させるその図式で、狩りと祟りにいかほどの違いがあるだろうか? 実際、彼女に捕えられた悪霊達は今回のケースを筆頭に、祟りでもこうはなるまいという酷い仕打ちを受けている。そして、人を狩る側だと思っているのは愛依に取り付き彼女が二十歳になったら取って食ってしまおうと思っている神も同様であろう。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

夜宵「愛依がどんなに不幸を呼び込もうとも私が、私達がそれを監禁する。けして近づけさせない」

 

神に見初められたばかりに周囲の人を不幸にしてしまい、他人と関わるのをやめようとまでする愛依を見捨てない夜宵の振る舞いはある意味で神への冒涜である。しかし夜宵が祟ってきたのは常に、道理に外れた振る舞いで自分や仲間を傷つけようとする者――冒涜しようとする者だった。彼女の戦いはすなわち、己と霊の冒涜をぶつけ合う蠱毒なのだとも言える。

「触らぬ神に祟りなし」とは格上だけに向けられる言葉とは限らない。霊や神にとっては、寶月夜宵こそが触れれば祟る「けがしの神」なのである。

 

 

感想

というわけでダークギャザリングの9話レビューでした。今回は視聴してすぐテーマがまとまってくれて一安心。神様すら蠱毒に突っ込んでいくんだから涜神的(すいません今回初めて聞いた言葉でした)な作品だ……でも、なんでもありなようでむしろ越えてはいけない一線を大事にしているのが見えてくるのもいい。「幼女先輩」のあだ名が冒涜的行為に繋がるとは思いもよらず。さてさて、夜宵は神様相手にどんな戦いを見せるんでしょう?

 

 

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