馳井静句は死んでいる――「アンデッドガール・マーダーファルス」11話レビュー&感想

© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

反転の「アンデッドガール・マーダーファルス」。11話では滝に飲まれた静句の行方が明らかになる。彼女がたどり着いたその場所は、現世であって現世ではない。

 

 

アンデッドガール・マーダーファルス 第11話「狼の棲家」

undeadgirl.jp

 

1.フィクションで滝に落ちて死ぬわけがない

© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

静句「あの、ここは一体……」
ノラ「ヴォルフィンヘーレ……わたし達の、人狼達の村」

 

人狼を取り逃がしたものの、村長に「最後から二番目の夜」の使い方を教えてもらい人狼村へ向かう鴉夜と津軽。一方、前回の戦いで滝に落ちたはずの静句が目を覚ましたのは……?
人と怪物の境を問う「アンデッドガール・マーダーファルス」。今回は主要人物の一人馳井静句が中心となる回だ。不死にして今は喋る生首となった鴉夜に代々仕え、刀の着いたライフルを操り津軽に毒を吐く忠実なメイド……前回ホイレンドルフの村に現れた人狼との戦いで滝に飲まれた彼女だが、意識を取り戻した時に周囲に見えたのは天国や地獄の景色でなく女性と狼に添い寝されている不可思議な状況であった。なんと静句は、鴉夜達が行き方を探していた人狼村ヴォルフィンヘーレに運び込まれていたのだ。

 

© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

漫画やアニメを見慣れた人にとって「フィクションで滝に落ちて死ぬわけがない」というのはメタ的な常識であろう。ただ、そうやって生死不明となった人物は生き延びた際に別人のように――かつての人格が死んだように――なっていることが少なくない。執着や立場から解放されることが、ある種の臨死体験にも等しい自分を見つめ直す機会となるからだ。それは静句の場合も同様で、鴉夜も津軽も側にいない今の彼女は命令に従う必要もなければ毒づく相手もいない。人狼村で連続殺人事件が起きていると聞いて主人である鴉夜なら力になれるかもと考える=主人が使用人の頼みを聞いてくれると考える姿からも、滝壺に落ちた静句はやはり普段の彼女から解放されていると言えるだろう。

 

 

2.馳井静句は死んでいる

滝に落ちた静句は常の静句ではない。それは彼女を取り巻く環境からも言える。

 

© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

ノラ「連続殺人が起きてるの……村の女の子が殺されてる、いつも決まって雨の日に」

 

人狼村で連続殺人事件が起きていると前節で触れたが、その内容は驚くべきものだった。1年前から、4ヶ月毎に雨の日に少女が惨殺されている……これはホイレンドルフ村で前回まで鴉夜達が取り組んでいた事件とそっくりだ。いや、それぞれの事件で人間は人狼を、人狼は人間を犯人と考えている点からすれば鏡写しと言った方が正確だろう。そして鏡写しなのは事件に限らない。

 

© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

例えば人狼は昼に活動しない。静句を助けた人狼の一人、少女ノラが「あなた達の夜は、わたし達にとっての昼なの」と語るように、人狼村では真っ暗な中を多くの人が出歩いている。また静句は人間が人狼村にいると露見し追い詰められた際、ノラ達に迷惑がかからないよう関係を偽るも「人間のくせに嘘が下手だな」と看破されるが、人間からすれば人、獣、獣人の3つの姿を操る人狼こそは嘘上手だったはずだ。鏡は対象をそのまま反転させて映すものであり、つまり人間と人狼は何もかもがそっくりかつ正反対の関係にある。ならばこの状況からは、人間の静句が人狼村にいることに反転的な意味を見出すことも可能なはずだ。

 

© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

ノラ「……美味しいと思う」
カーヤ「いつも淹れるお茶と全然違う」
ヴェラ「まあ、毒は入ってないな。うん」

 

鴉夜が力になれるかもしれないという静句の話をノラ、そして一緒にいたカーヤやヴェラは当初信じなかったが、静句が淹れた紅茶の美味しさは警戒を緩ませ、カーヤとヴェラは彼女が追い詰められた際に必死で擁護しようとすらした。話通りなら発見当初は殺そうとしていたにも関わらずだ。冥府の食べ物を口にすればその地の住人になってしまう、という話が洋の東西を問わず聞かれるが、静句の行為は言ってみればその逆である。人狼村に流れ着いた彼女はヴェラ達に人間の紅茶の飲み方を教えることで、冥府の住人に現し世の食べ物を口にさせるようにして自分の側に引き込んでしまったのだ。ヴェラは紅茶を飲む前に毒が入っていないか疑いもしたが、無毒なそれは反転して何よりも強力な毒であった。

 

© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

静句「ノラさんはどこかで水に浸かり、上がってから服を着て、直後に銃で撃たれた。そしてここへ運ばれた……?」

 

死は必定と思えた命を拾い、忠誠の証たるメイド服ではなく古代ギリシャあたりを思わせる(服飾全然詳しくありませんすいません)衣服に身を包んだ静句はいわば冥府に迷い込んだ生者である。しかし冥府で過ごすことを生とは言わない。冥府は生者の生きる場所ではない。事実、静句は人狼村の連続殺人事件に直接的にはなんら寄与できなかった。4人目の犠牲者としてなんとノラが撃ち殺されるという状況で彼女は鴉夜の代わりに推理を行うも、その成果は疑問点を指摘する程度に留まっている。拘束を受けたまま人狼に遺体や周辺への接触を頼む姿は鴉夜が助手の津軽に捜査をさせる様子にも似ているが、そこには静句の役割が無いのだから失敗に終わるのは当然であろう。静句は肉体的には生きているが、そのアイデンティティは滝に落ちる前から呼吸を止めた状態にある。

 

© 青崎有吾・講談社/鳥籠使い一行

カイル「これが……」
鴉夜「『牙の森』だ」

 

今回は人狼の隠れ里を探すヒントとなる「牙の森」が明らかになる回でもあるが、その正体は雲海を越える尖った岩山と明け方の光がもたらす暗がりが生み出す狼のあぎとのような光景であった。人狼村はこの牙の森の上顎のようなものであり、鴉夜は冥府のようなその場所から静句を取り戻さなければならない。助手である津軽の登場で存在意義を見失いかけている静句を黄泉帰らせなければならない。それは見ようによっては、奪われた首から下を取り戻すのに劣らぬほどの重大事だ。
フィクションの常道から外れることなく、滝に飲まれた静句は命を失ってはいなかった。だが今の彼女が生きているとも言えない。鴉夜と共にいられない限り、馳井静句は死んでいるのである。

 

 

感想

というわけでアンファルの11話レビューでした。正直なところ「静句の存在意義が薄くないか?」と思っていたので、ここに来てそれをバネにスポットライトが当たることに納得しました。ぼんやり見えた11話の形を言語化するのに四苦八苦しましたが、上手く伝えられておりますでしょうか。残り2話かと思いますが、どのように収拾をつけるのか楽しみです。

 

 

<いいねやコメント等、反応いただけるととても嬉しいです>