神と人生と抗いと――「魔法使いの嫁 SEASON2」20話レビュー&感想

©2022 ヤマザキコレ/マッグガーデン魔法使いの嫁製作委員会

試行錯誤の「魔法使いの嫁 SEASON2」。20話ではフィロメラの両親やアルキュオネの過去が明かされる。その悲しみにしかし、確かな生が見え隠れする。

 

 

魔法使いの嫁 SEASON2 第20話「Even a worm will turn.」

mahoyome.jp

1.これっぽっちも分かんない

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人造精霊アルキュオネの最初の記憶。それは生みの親であるアダムとその妻イリスからフィロメラを託された記憶であった。3人との穏やかな日々を思い返し、アルキュオネが考えることは……

 

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イリス「暮らし向きが悪くなるのなんて一瞬。でもやられた先でやけくそに頭突きしてやった男と一緒になって逃げ出すとはねー。人生なんてこれっぽっちも分かんないわ」

 

道を探す「魔法使いの嫁 SEASON2」。20話前半では人造精霊アルキュオネの回想を通して彼女が仕える少女フィロメラの両親、アダムとイリスの身に起きたことが描かれる。アダムが魔術師サージェント家の跡取り息子であったことは既に語られていたが、驚くべきはその妻イリスの方にあった。なんと彼女は家産の傾いた家から売り飛ばされた娘であり、アダムと出会った時は彼に仕事を覚えさせるためにサージェント家が買った「実験台」だったのだ。しかも負けん気の強いイリスは初対面の際に手を縛られていながらもアダムに頭突きをくらわせる暴挙に出たが、それがきっかけで彼と心を通わせ駆け落ち、フィロメラを産んだというのだから並大抵の話ではない。「人生なんてこれっぽっちも分かんないわ」と当の本人が言うのも無理はないが、この家にはもう一人「分からない」ものがいる。アダムとイリスの愛の結晶であるフィロメラ……いや、アダムが言うところの「子供、新生児、赤ん坊」だ。

 

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イリス「アダム……もう無理」
アダム「ああ……うん、大丈夫。寝ておいで」

 

何が理由でいつ泣くか知れず、すぐに危険なところへ行き、食べてはいけないものを口にしようとする赤ん坊は端的に言って「これっぽっちも分かんない」生き物である。言葉も未習得の段階から始まるから意思疎通すら難しく、保護者は赤ん坊がどうしているかいつも気が気でない。アダムとイリスは逃亡中のため他者に助けを求められずまた写真を残すことすらできない身の上だが、そんな彼らの人生と不思議に重なり合っているのが目を離せないフィロメラの危うさなのだ。今回冒頭では疲労困憊だった2人はアダムの作り上げたアルキュオネが子育てを手伝うようになってからは疲れた顔を見せていないが、彼女の搭乗が単なる疲労軽減に留まらない安定をもたらしたのは多くの視聴者も感じたところではないだろうか。

 

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フィロメラの絵に両親と一緒に描かれるなど、単なる人手ではなく家族の一員として認識されていくアルキュオネのあり方はおそらく人造精霊の生としては非常に珍しい。しかしこれは「人生なんてこれっぽっちも分かんないわ」の裏面でもあり、アルキュオネの存在は穏やかな日々の永続までは意味してくれない。彼女達の幸せは追手によって終わってしまうが、その突然さあっけなさはやはり「これっぽっちも分かんない」、例えるなら神の気まぐれ・・・・・・のように慈悲のないものだった。

 

2.神と人生と抗いと

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冬の女神「私の形を望み、あり方を縁取り、私を私に縛り付けろ。唱え!」

 

人生は神の気まぐれのように無慈悲である。後半、フィロメラを取り戻すためサージェント家の土地へ乗り込んでいた主人公のチセはそれを身を持って知ることとなる。なにせ彼女はこの場所で文字通りの神、およそ人の理で計れない存在と対峙しているのだから。

 

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モリガン「女神モリガンのあるところ、戦に出た者は何人たりとも逃げられぬと知れ!」

 

チセの前に現れた神、冬の女神とも呼ばれる旧き神は人間と同じ言葉を喋り会話もできるが、その価値判断は大きく異なっている。目を合わせただけで常人は”食われて”しまうし、望みを叶える代わりに思いもしない大事なものを奪いもする。今回はかつてチセとかわした約束がいずれ果たされる時のためにと手を貸し、圧倒的な力でサージェント家の私兵を蹴散らしてくれたがこれもたまたまそうなったに過ぎない。状況がもっと悪くなっていた可能性は十分にあるし、私兵達にしても警備をしていたら旧き神に殺されるなどとは思いもしなかったことだろう。

 

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アダム「この呪いは君を守りはしないけど、報復はしてくれる」

 

「これっぽっちも分かんない」点で人生は赤ん坊にも神にも等しく、その無慈悲さ不条理さから身を守ることは誰にもできない。だが私達に何もできないかと言えばそれも誤りだ。先のフィロメラの一家の例で言えば、アダムとイリスは受けた傷を対象にも返す呪術を自分達にかけていた。受けた傷が回復するわけではないこの呪いはせいぜい追跡を遅延させる程度の効果しかなく、実利には乏しい。けれど重要なのは、呪いがもたらすわずかな猶予が彼らに抵抗を許している点だ。何に? もちろん、人生に。

 

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アダム「外の世界を知った今、あんな家、帰るわけないだろ。……あれのことは、俺が一番よく知ってるよ。死ぬほど嫌がることもね」

 

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イリス「まだ、死にたくなかったな」

 

例えば追跡させていたアダムの母リズベスの目的は息子を連れ戻すことにあり、そのためにフィロメラがある程度育って逃亡に支障が出るまで泳がせるという、孫を人質にするも同然の行為にすらためらいがなかった。しかし一人のところを脅されたアダムは追手にとっさに撃たせることで呪いによって相手を動けなくし、その隙に奪い取った拳銃で自ら命を絶った。家に戻るしかないという人生に抗った。
また生死を問われない立場にあったイリスは追手から致命傷を受けるも、こちらも呪いによって相手が動けない内にとどめを刺されることなくその生を終えた。親に売り飛ばされ最後は殺される「クソみたいな人生」を送ったイリスの最後の言葉はしかし、「まだ、死にたくなかったな」であった。アダムとアルキュオネ、そしてフィロメラと過ごした時間は、神の気まぐれのようなめぐり合わせに翻弄される人生への抵抗となったのだ。

 

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人は自分の神を、人生を選べない。けれど抗うことはできる。頭突きの際のイリスの「わたしはあんたの言いなりになんか、絶対になってやらない!」という叫びがそれを聞いたアダムの瞳に輝きをもたらしたように、「生きる」ことの道理はきっとそこにある。最初の設定から変化しないはずの人造精霊のアルキュオネが家事の技術を向上させたり、神に等しいマスターであるアダムやイリスが見捨てたとしてもフィロメラを助けるのが自分の役目と語ったのも、魔術的なまがい物に過ぎなかったはずの彼女が生きた存在である証明なのだろう。いや、そもそもがアルキュオネを生み出したこと自体がフィロメラを孤独にしてしまう人生へのアダムとイリスの抵抗ではなかったか。

 

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今回の副題「Even a worm will turn.」は、日本語に訳すなら「一寸の虫にも五分の魂」を指すのだという。魂とは抗いであり、抗わないならそれはただの小さな虫けらに過ぎない。弱く小さな私達は、力ではなく魂の抗いによってこそ己の生を生きることができるのだ。

 

 

感想

というわけでアニメまほよめ2期20話のレビューでした。すっかり遅くなってしまってすみません。ラストでゾーイがあわよくばルーシーのピンチの時にと思っていたのにと打ち明けながら闘志を燃やす姿が今回のテーマの決定的なヒントだったわけですが*1、それを具体化させるまでの材料として見当違いのところに目をつけてしまい堂々巡りの中で一日が過ぎてしまいました。午後に所用で人と会った帰りにふと「人生=神」という天啓が降り、そこから見直すと描写が繋がるわ繋がるわ。レビューもやっぱり「これっぽっちも分かんない」。

 

冬の女神(モリガン)役の川澄綾子さんの何言ってるのか分からないけどなんとなく怖くてたまらなくなる演技とか、アダム役の野島健児さんの「優男のなりしてガキ」なところとか、彼の人生を大きく変えたイリス役&今回は幼フィロメラ役の河瀬茉希さんのフィロメラとはまた違った演技とか、今回はいつもとはまた少し違った聞き所も多い回でした。さてさて、残り4話でチセやアルキュオネは何を見せてくれるんでしょう。

 

 

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*1:ザッケローニに聞かれてるがいいのか?