好きになることは負けること――「負けヒロインが多すぎる!」3話レビュー&感想

©雨森たきび/小学館/マケイン応援委員会

敗者の美の「負けヒロインが多すぎる!」。3話では3人目のマケイン、小鞠知花が負けて輝く。人を好きになることは、戦う前から負けることである。

 

 

負けヒロインが多すぎる! 第3話「戦う前から負けている」

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1.大義名分の重要性

「文芸部なのに執筆活動をしていない」と生徒会から指摘を受け、急遽合宿を執り行うこととなった文芸部。フラれた幼馴染の両親とのバーベキューから逃げ出してきた杏菜も入部し、海辺での合宿はにわかに高校生らしい賑やかなものとなった。バーベキューの後、一同は花火に興じるのだが……

 

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敗北を教える「負けヒロインが多すぎる!」。3話は文芸部1年の小鞠知花が主軸となる回だ。部長の玉木慎太郎に思いを寄せる彼女が好意を打ち明けたところで「戦う前から負けている」の副題が登場するラストはインパクト抜群だが、私としては「なぜフラれるところまで描かないのだろう?」という疑問もあった。確かに玉木には月之木古都という眼鏡の似合う傍目には夫婦同然の幼馴染がいるとはいえ、失恋を描かなければ「戦う前から負けている」を描いたとは言えないのではないか。失恋なしで描かれる「負け」とは何か?……見返す中で感じたのは、小鞠にとってはこの告白そのものが、戦いに臨んだこと自体が「負け」なのではないかということだった。

 

やってみなければ結果は分からないということも多いが、戦いにはしばしば戦い以前の段階での負けが存在する。例えば大き過ぎる戦力差、例えば大き過ぎる技術力の差、例えば……大義名分。松井優征の「逃げ上手の若君」のアニメ化で注目を浴びている南北朝時代を始めとして日本では「天皇の支持する勢力」か否かが実力以上の効力を発揮したように、大義名分は重要だ。露出度では下着と変わらない服装も水着という大義名分があれば人前に出せるかどうかの意識は変わるし、マケインの1人八奈見杏菜がフラれた幼馴染の両親とのバーベキューを避けるために文芸部の合宿を利用したようにいたくない場にいないためにも相応の大義名分が必要になったりする。政治に限った話ではなく、日常においても私達は大義名分なしには生きていけないと言っていいだろう。この大義名分が小鞠の話に大きく関わっていることは、冒頭での主人公・温水との議論から見えてくる。

 

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温水「研究?……ほう、俺もこの学校の水についてはうるさくてな」

 

小鞠と温水の大義名分に関する議論、それは極めてマニアックなものだ。なにせ彼女達の通う学校の水道水はどこの蛇口から飲むのがいいか――水温だのカルキ臭だのといった要素による一種の蛇口ソムリエ――を論じ合うというのだから随分な局地戦である。もちろん二人は老朽化著しい水道管の状況を憂いていたりするわけではなく、教室にいづらくて水を飲み歩いていた結果こうなったに過ぎない。すなわち、蛇口によって水の味が違うというのは教室にいないための「大義名分」でしかない。


けれど一方で、二人の議論は熱が入っている。午前に水を飲むなら前日の水でカルキが少なく水温も上がっていないものがいいだとか、温い方が体に負担は少ないしカルキ臭に鼻を慣らしておいた方がトイレで昼食をとる時に気にならないだとか……特に後者、小鞠の場合は便所飯の自白にもなっており、もはやどこが大義名分なのかの境すら怪しくなっている。そう、私達は言い訳や建前でしかないはずの大義名分に案外本気になるし、なんならそれが本音と入れ替わることすらも珍しくない。大義名分は常に大義名分であるとは限らないのだ。

 

2.小鞠知花には大義名分がない

大義名分は常に大義名分であるとは限らない。この不安定さは他の2人のマケイン、焼塩檸檬や八奈見杏菜の描写からも見て取ることができる。

 

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檸檬「……ありがと」

 

例えば檸檬は前回、想い人の綾野光希に好意を伝えることすらできずに失恋したばかりであり、表面上は明るく振る舞っているが傷心が癒えたわけではない。結果的に失恋のお膳立てをしてしまった温水は罪悪感もあって彼女を気遣うが、そんな優しさが檸檬にとって嬉しいものであることは彼女が温水の手を取って走ろうとしたり呼び捨てでいいと語る姿からも察することができる。この3話では失恋した少女とその傍らに立つ少年という大義名分・・・・で二人の距離が縮んでいる、と言ってもいいだろう。

 

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杏菜「美味しいでしょ?」

 

また杏菜に関しては今回、自分が取った焼き肉を吹き冷まして「あーん」と温水に食べさせてやっているが、もともと彼が食べようとしていた肉を自分がかっさらってしまったと知ったためとはいえ、こんな振る舞いは普通なら恋人相手にすることだ。実際失恋をきっかけに「友達や知り合いには聞かせられない」内心を語ってしまっている杏菜が温水にかなり気を許しているのは確かで、ここにもまた「失恋した少女とその傍らに立つ少年という大義名分で二人の距離が縮んでいる」構図がある。なんなら、合宿を隠れ蓑にサボると言っている幼馴染の両親とのバーベキューの方こそが大義名分に過ぎない・・・・・・・・・可能性だってゼロではないのだ。ラブコメ的観点というメタ視点を持ち自分がそういったものとは無縁と考えている温水は檸檬や杏菜がマケインであることは不動と信じて疑わない(ので、檸檬が甘えて伸ばした手を掴んだりもしない)が、実際はそれを大義名分に次の恋の鞘当ては――”戦い”は始まりだしている。

 

戦いには大義名分が必要である。檸檬や杏菜の振る舞いは思わせぶりだがおそらく「好感は抱いているが好意には至らない」レベルであり、だから彼女達は半分はマケインを大義名分に、半分は無意識に温水が好意に足りる相手なのか探りを入れている(二人は温水が大義名分を信じて疑わない「そういうとこ」に落胆しているようにも、一方で弱ったところに付け込まない彼にかえって信頼を寄せているようにも見える)。けれどこの3話の中心となるのは、檸檬や杏菜と違って恋の大義名分を持たない少女だ。そう、小鞠知花は現状、まだマケインではない。

 

3.好きになることは負けること

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小鞠知花には大義名分がない。それはまだ明確に失恋していないからというだけではない。檸檬や杏菜にあったものが、「自信」が彼女にはないことに由来する。

 

八奈見杏菜の場合、彼女は想い人の草介と自分が結ばれることにある程度の自信を持っていた。頑是ない頃とはいえ結婚の約束をした幼馴染だし、温水も1話で二人を見た時は痴話喧嘩だと思ったほどだ。
また焼塩檸檬の場合、彼女は自分が恋のスタートラインには立っていると思っていた。まさか何年も一緒にいる相手に、女の子として見られてさえいないとは考えもしなかった。

 

二人の場合自信は過信でしかなかったのだが、そうだとしても自信は己を奮い立たせるために必要な大義名分である。自分は目標を達成できる、想い人の隣に立てる……根拠の有無に関係なく、そういう自信がなければ人は欲するものに手を伸ばせない。そして小鞠には二人と違ってそれがない。温水の性別をひっくり返したような翳のある性格で友達がおらず、杏菜や檸檬と違って想い人との高校入学以前からの付き合いなどもないとなれば、合宿に来ても1人海に入らないなどアプローチに消極的なのも当然だろう。そのままなら彼女はきっと玉木と古都が交際を始めるのを黙って見るだけで、秘めた思いを打ち明けるなど思いもよらなかったはずだ。……そう、そのままなら。

 

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玉木「小鞠ちゃん、怪我はないか?」
小鞠「だ、だいじょぶ……」

 

バーベキューの後で皆で花火をしていた際、小鞠はうかつにも火の付きの悪い花火の前に顔を出して火傷しそうになってしまう。幸いにも怪我は免れたが、その際の玉木の行動はほとんど完璧な程に格好いいものであった。自分が手を火傷するのも構わず小鞠をかばい、顔を怪我しても誰も見ないという彼女に小鞠莉自身が嫌な思いをするのは嫌だと諭す……人間ができすぎていて、こんな人が相手では感極まった小鞠が思わず好意を打ち明けてしまうのも無理はない。そう、何の大義名分も持たないはずの彼女が告白してしまったとて何もおかしくはない。

 

戦うためには大義名分が必要である。杏菜が温水と一緒にいるのは借金があるからだし、温水は檸檬に綾野と一緒に文芸部を訪れる理由をお膳立てしてやったりした。けれど好意を告げる瞬間だけは人は大義名分から離れなければならないし、好きだという気持ちは時に大義名分を勝手に乗り越えてしまう。理非も後先も吹っ飛んで、相手にされるがままの状況に自ら突っ込んでしまう。今回ラストの突発的告白はまさにそれだ。「惚れたが負け」と世に言われる所以であり、小鞠は思わず好意を口にした時点で恋の成否に関係なく「戦う前から負け」たのだ。

 

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小鞠「部長のこと、好き、だから……付き合ってください!」

 

小鞠知花には大義名分がない。自信のなさの現れであったそれは告白の瞬間、どうしようもなく人を好きになった彼女の輝かしい敗北の証明に変わったのである。

 

感想

以上、マケインの3話レビューでした。最初の方で書いた通り、「どうしてこの副題なのか?」に自分が納得できる見立てを探していったらこんなレビューになった次第です。心の機微って難しい。勝ち筋のような負け筋を考えるのが本作を見ていく上では大切なのかもしれないなと感じました。

 

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この場面の檸檬の所作に思わず見入ってしまう。いやエロいという話ではなく、めちゃめちゃ描きづらそう。そしてだからこそ彼女の躍動感がよく出ているように感じます。

 

 

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