仕事の果たし方――「白い砂のアクアトープ」5話レビュー&感想

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©projectティンガーラ
心の癒やし方を探る「白い砂のアクアトープ」。風花を連れ戻しに母である絵里が来訪する5話では「仕事」という言葉が幾度か現れる。今回は母娘の話……というよりも、そこにある"仕事"のやり方や意味の多様を教えてくれるお話だ。
 
 

白い砂のアクアトープ 第5話「母の来訪」

「がまがま水族館」に娘を連れ戻しにやってきた風花の母・絵里。しかし、まだ帰りたくない風花はくくるの手助けによって母から逃げることに。再び行く当てがなくなった風花は、ふらりと立ち寄った、くくるの友達である照屋月美が手伝うごはん屋「カメ―」である人物と再会する。一方、残されたくくるは、絵里を足止めするために様々な作戦を実行していた。
 

1.険しい表情の理由

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絵里「どうも。宮座風花の母です」
 
風花を連れ戻しにやってきた母・絵里に対して多くの視聴者が抱くのは「警戒感」であろう。水族館の前に現れ初めて描かれた彼女の表情は険しく、またこういう話で子供を連れ戻しにやってくる母親と言えば独善的で強権的と相場が決まっているからだ。
 

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だが話が進めば分かるように、絵里はそんな紋切り型の悪役的な親ではない。家出同然だった娘をなじるような描写はなく、お礼にと菓子折りを渡す姿に高圧的な態度はなく、茶番じみたくくるの遅滞戦術を疑う風もない。見返してみて分かる彼女の気質は、どちらかと言えばむしろ騙されやすくお人好しなほどである。
 

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絵里「あの子、アイドルになりたくて早くに家を出たんです。あたしはちっとも親の仕事をしてやれてない。やっと帰ってきてくれる、側にいてあげられるって思ったのに……」
 
そして悪役的な親と言えば自分が人並み以上に親として立派だと思い上がっているものであり、その勘違いを叩きのめされるのが物語の定番だが、この点でも絵里は当てはまらない。風花ががまがま水族館に居続けることを認めた後で彼女がこぼしたのはむしろ、自分が親らしいことをできていない申し訳無さと、彼女の傷心を癒やしてやることでそれを果たそうとしていたことであった。
 

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こうして見ると、絵里が当初険しい表情をしていたのはけして娘への怒りなどではないことが分かる。「宮沢風花の母です」とこわばった表情で名乗る彼女の姿には、親としての「仕事」を果たそうとする気負いと懸命さこそが現れていたのである。
 
 

2.仕事の果たし方

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先の段では、絵里の持つ第一印象が彼女の「仕事」への気負いであることについて触れた。しかし最初に書いたように「仕事」は一つしかないわけでも一つのありようしかないわけでもない。くくるに急かされ母から逃げた風花がたどり着いたのは定食屋「カメー」で、彼女は看板娘の月美の料理の手際の良さに驚く。
 

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月美「くくるみたいに人に言えるカッコいい夢なんてないけどさ。でも私は気に入ってるんだ、この仕事!」
 
そんな風花に月美が答えるのは、自分の「仕事」への自負や他人との変わらなさといったものだ。水族館と定食屋は大きく違って見えるが彼女に言わせれば同じように繰り返しだし、水族館存続を願うくくるほどカッコいいとは思わずともこの仕事を彼女は気に入っている。まかないでサッと作った料理の美味しさに風花が舌鼓を打つ様子は、月美が良い仕事をしている何よりの証拠である*1
 

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仕事は一つではないし、そのありようも一つではない。絵里が目にするのは水族館でキラキラ目を輝かせて働く風花ではなくイシガキカエルウオの死を重々しく見送る彼女であり、また今の風花に必要なのは故郷での休息ではなく余計なことを考えずに済む忘我の時であったりする。葬式の慌ただしさは人の心に空いた穴を緩和する効果もあるそうだが、安らぎだけが人の心を癒やす「仕事」を果たすとは限らない。
だから絵里は風花を連れ帰るのではなく、ここでの時間こそが彼女に必要なのだと認める。そしてもちろん、ありようが一つでないのは風花にとっての仕事だけではない。絵里が果たしたいと願う親の仕事もだ。
 
 

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風花ががまがま水族館にい続けることを許した夜、絵里はくくるの祖父母達に寂しい思いをこぼす。今までしてやれなかった親の仕事を今の風花は必要としていないというのだから、残念に思うのは心理としては当然だ。だが祖父母達は、一緒にいるだけが親の「仕事」ではないのだとも慰める。
 

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さつき「子離れするのも親の仕事だねえ」
おじい「心配しないでも、元気でいてくれたらいつでも会えるさ」

 

さつきや祖父母は、子供と一緒にいる形で親の仕事を果たしてはいない。さつきは娘にほとんど店を任せているし、娘に死なれた祖父母はもうどうやっても子と一緒にいることができない。けれど定食屋の仕事が好きな娘にそれを任せてやるのも、忘れ形見の孫を育てることも一緒にいるのとはまた違った親の仕事の果たし方であろう*2

 
だから絵里もまた、一緒に帰るのではなく風花の気持ちを、それまでしてきたことを尊重することによってこそ親の仕事を果たす。それは彼女の諦めたアイドルの夢を(慰めるためであろうが)大したことないように言ってしまった1話とは大きく異なるものだ。
 

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絵里「赤い長靴、結構似合ってたね」
 
ただ庇護するのではなく、認めることにもまた親の仕事はある。だからこの5話はCパートもあるものの、Bパートは母子の会話を以って終わりを迎える。母の名乗りで始まった話は、母への感謝で区切られる。
 

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風花「ありがとう、お母さん」
 
娘が告げる感謝の言葉は、絵里が親としての「仕事」をしっかり果たせた証拠なのだ。
 
 

感想

というわけで白い砂のアクアトープの5話レビューでした。「母親の気負い」を、2話の「完璧であろうとする」くくると重ねる見立ては割と早々に浮かんだのですが、それを全体に拡張するためのキーワードとして「仕事」を見つけるのに手間取りました。自分とそっくりだというイシガキカエルウオの死を見送る風花の様子は、死んだアイドルの夢を「励ます会」でなあなあにするのとは違う葬儀の効用もあるのかもしれません。あと、赤い長靴はアイドル業では結局履けなかった赤い靴と対になるものなんだな。
最初は茶番じみてすら思える逃走劇にモヤモヤしましたが、思わぬ決着の形にびっくりさせられた回でした。
 
 

<いいねやコメント等、反応いただけるととても嬉しいです>

*1:母親のさつきも夜逃げや家出した娘をかばったりするある意味で公的な「仕事」を果たしているから娘からの信頼を失わずにいられる、と言えるか?

*2:おじいやおばあが誰でも泊めたりお腹いっぱいにしようとするのはおそらく、娘にもっとしてやりたかったことの代償行為でもある。