憑依と依代――「ダークギャザリング」5話レビュー&感想

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

避け難き「ダークギャザリング」。5話では螢多朗が大学の新歓で憑依霊絡みの事件に巻き込まれる。憑依する者とされる者の関係は、一方的とは限らない。
*今回は自殺絡みの回のため、閲覧注意

 

 

ダークギャザリング 第5話「新入生歓迎会

 

1.螢多朗、脱憑依失敗

友達を作るため、大学のサークルの新歓に参加した螢多朗。しかし二次会の会場に向かう車内で集団自殺サークルについて聞かされた彼は意識を失ってしまい……

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

長山「よっ! 苦労してそうだな。はは……」
螢多朗「会長……や、そんなことは……」

 

霊媒体質の青年、幻燈河螢多朗が社会復帰を目指すもむしろオカルトに染まっていく「ダークギャザリング」だが、今回は彼が大学のサークルの新歓に参加する話だ。社会復帰のために天才少女夜宵の誘いに乗ってオカルトに踏み込むか、それとも距離を取るか悩み続けている螢多朗は今回、後者の方法としてサークルで友達作りに挑戦していた。かつての霊障は結果的に彼からコミュニケーション能力も奪っており、その払拭を試みたわけだが……残念ながらこれは上手くいかない。螢多朗は誰と話すかしっかり決めることも会話を続けることもできず、場はなんとも気まずい雰囲気になってしまった。おまけにサークル会長の長山に誘われて二次会に向かうも彼はなんと霊に憑依されており、またもトラブルに巻き込まれてしまうのだから踏んだり蹴ったりだ。ただ、今回の幽霊の形である「憑依」は必ずしも長山に限った話ではない。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

螢多朗「地味に距離の遠さを感じる、辛い関係なんだよ! だから僕自身が自分の友だちを作りに行かなきゃだめなんだ!」

 

螢多朗が友達を作ろうと決心したのはそもそも、自分が「友達の友達」程度の関係しか大学で築けていないと感じたためだった。いつも一緒にいてくれる詠子が誰とでも仲良くできるような人間だからその恩恵に預かっているだけで、自分自身が他人と仲良くなれているわけではない。螢多朗が一人でサークルの新歓に参加したのは、自分が詠子に憑依・・しているも同然なのを抜け出すためだったと言える。だが、脱憑依が目的だとした場合彼の行動は中途半端だ。

 

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詠子「これで完璧なおしゃれさん!」

 

一つには螢多朗は、自分から頼んだわけではないが詠子に服装を選んでもらっている。話しかけやすい雰囲気が大切という詠子のコーディネートには説得力があるが、螢多朗自身が人と話しやすくなったわけではない。実は詠子の用意した服装(正確には眼鏡)には彼女が螢多朗を盗撮するためのカメラが仕込まれていた点も踏まえると、今回の螢多朗は詠子に憑依されたような状態にある。
もう一つには、彼が新歓に参加したのは旅行サークルだが旅行自体に興味があったわけではなかった。「一緒に旅行に行けるような友達を作りたい」という名目での参加はサークルに憑依しているようなものであり、故に元が不器用な螢多朗は新歓の場で旅行の話題を広げることができない。

 

憑依状態を脱したいと願っているが、実際は憑依にべったりでどちらともつかない中途半端な状態。螢多朗が置かれているのは、オカルトに踏み込むか距離を取るか悩んでいる今の状況そのものだ。ならば、新歓の結果を夜宵の誘いを受けるかどうか(オカルトに踏み込むか距離を取るか)の判断材料にしたいと考えていた螢多朗の願望もまた今回の出来事に反映されることになる。ヒントとなったのは意外にも、彼を騙して殺そうとした男ーーサークルの会長、長山であった。

 

2.憑依と依代

なぜ長山がヒントになるのか? それは彼がオカルトという形だが螢多朗同様に「憑依」を抱えた存在だからだ。

 

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町田「俺も、お前たちも一人残らず死ねばいい! 死ねええ!」

 

長山の正体。それは螢多朗に話しかけてきた会長そのものではなく、彼に取り憑いた悪霊の名前であった。大学近くのT団地に潜むこの霊は毎年誰かに憑依して既存のサークルを乗っ取ったり健全なサークルを装い新入生を連れ込んで集団自殺、翌年は別人に憑依してまた長山と名乗り同じことを繰り返す恐ろしい存在……しかし、螢多朗の危機に駆けつけた夜宵にこの霊を引き剥がされた会長は穏やかな顔に戻るどころか憎しみをたぎらせて彼女達を巻き込みやはり集団自殺しようとする。会長の本名は町田。事件を起こして執行猶予付きで世に戻るもバッシングを受けて逆恨みし、彼自身もまた他人を巻き込んでの集団自殺をしようとしていたのだった。憑依された人間は豹変するイメージが強いかもしれないが、今回の場合長山も町田もさほど変わらなかったのだ。

 

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夜宵「オバケが離れてなおその言い分。やっぱり、取り憑かれるほど同調する理由を持ってた」

 

長山と町田のケースから見えるのは、憑依は相手を一方的に変えるものとは限らないことだ。二人の場合は憑依霊と依代が互いに集団自殺への欲求を高めあったのであり、そこには支配よりは競争と呼ぶべき関係が生じている。よく似た存在が互いに、我こそは我こそはと相手を食い殺そうとする……そう、これは夜宵が自室で悪霊を悪霊の餌にしているのと同じ「蠱毒」である。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

夜宵「オバケの声……」
詠子「ああー、螢くんを盗聴……ゴホン、気持ちを通わせてるとだいたいいつも聞こえるんだよ」
夜宵「ほう」

 

螢多朗が失敗した憑依とは、相反するものをぶつけてもう片方を打ち消そうというものだった。話しかけにくいのを話しかけられやすい服装で埋めようとしたり、話が苦手なのを人が集まる場所にいくことで解消しようとしたり……しかし世の中には、相反しているよりもよく似たものをぶつけた方が上手くいくケースも存在する。例えば夜宵は今回、詠子が眼鏡に仕込んだカメラで螢多朗をストーキングしていると知って引いていたが、螢多朗のストーキングは彼が引き寄せる霊のストーキングにも繋がると知ればくるりとてのひらを返して詠子の振る舞いを肯定している。螢多朗にしても今回知ったのは、オカルトに対して距離を取る(相反するもので打ち消す)よりも積極的にしのぎ方を学んだ方が結果的にオカルトと距離を取れる可能性があることだった。つまり”憑依”を脱したければむしろ積極的に憑依対象に、”依代”になるべきではないかという考えが螢多朗の中で生まれたのである。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

憑依と依代の関係は、前者が後者を支配するものとは限らない。どちらがどちらに勝るか分からない緊張感の先に、呪いの新たな可能性が潜んでいるのだ。

 

感想

というわけでダークギャザリングの5話レビューでした。予告の時点でうさんくさいと思ってた会長が予告以上にアカン人だった。正体から末路まで全く救いがない。今回は絵面的にも内容的にも、ホラーとは違う恐ろしさのある回だったなと思います。

 

Ⓒ近藤憲一/集英社・ダークギャザリング製作委員会

パジャマ姿だと夜宵のおさげがフルで見えて非常に愛らしい。頭なでたい。

 

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