核分裂する世界――「オッペンハイマー」レビュー&感想

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アメリカに遅れること8ヶ月、日本でも公開の運びとなった「オッペンハイマー」。原爆の父の伝記的物語が示すのは、発見や発明の持つ「核分裂的」インパクトである。

 

 

オッペンハイマー

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核分裂する世界

1950年代、アメリカの理論物理学ロバート・オッペンハイマーソ連スパイ疑惑から窮地に立たされていた。原子力爆弾を開発したこの男の事績とは、果たして何なのだろうか?

 

世界でもっとも強大な兵器として知られる核兵器を開発した男という刺激的な題材を扱った、クリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」。同時期に公開された「バービー」と合成したネットミーム「バーベンハイマー」のファンアートへの公式の反応に日本で抗議が寄せられたことからか日本での公開見通しは不明となっていたが、2024年にビターズ・エンドの配給で日本公開となった。
原爆について本作がどう扱っているのか?という疑問をひとまず棚上げして本作を見た場合、多くの人にとってもっとも印象的なのはカラー/モノクロの混在した奇妙な映像のあり方であろう。一般的な用法である現在/過去の区別は時系列が複雑に前後する本作でこそ生きそうなものだが、そうではないことは早々に示されるため鑑賞した者は戸惑わずにいられない。物語が展開するにつれ、カラー画面がオッペンハイマー側から見た景色を描いているのに対しモノクロ画面は彼を陥れようとするルイス・ストローズという男から見た景色であるらしいことが分かってくるのだが、それだけでこんなやり方をする必要があるのかはいささか疑問が残る。なぜこんな作りになっているのか?……視聴を終えて振り返った時ふと感じたのは、このカラーの世界とモノクロの世界はまるで核分裂・・・のようだということだった。

 

オッペンハイマーが主導したマンハッタン計画で開発された核兵器……原爆は核分裂、すなわち中性子を当てると原子核が2つにちぎれる原理を利用している。そう、カラーとモノクロ同様の「2つ」だ。オッペンハイマーマンハッタン計画の実施に際し、物理学の集大成で爆弾を作ることに疑念を覚える友人イジドール・ラビや元共産党員の弟フランク・オッペンハイマーなど必ずしも主義主張を等しくしない者達とも共同して事に当たっていた。原爆開発のためロスアラモスに街ごと研究施設を作ってしまうという破天荒な発想が学問とニューメキシコを融合させたかったという幼少の夢の実現に繋がっている点も含め、そこでは様々なものが垣根を超えて集っていたと言っていいだろう。だが、原子を2つにちぎって大量の熱エネルギーを発生させる原爆の実験が成功した瞬間からそれらは、今まで結合していたはずの数多のものは、原子核同様に2つにちぎれはじめていく。

 

例えば原爆を作ったのはオッペンハイマー達だが、完成すればその運用はアメリカ政府の管轄となるため彼は広島への原爆投下を事後連絡でしか知らされない。またアメリカとソ連は枢軸国打倒のため一応は協力関係にあったが、ドイツや日本の降伏後は世界の覇権を争う2大国家として敵対関係を深めて(ある意味当然に、オッペンハイマーが道を切り開いた核兵器の開発競争によって!)いく。核兵器そのものすらも例外ではなく、マンハッタン計画のメンバーの一人エドワード・テラーはより強力な水爆の開発によって核兵器を2つにちぎってしまった。そして「原爆の開発者でありながら」水爆の開発には反対したオッペンハイマーもまた英雄とスパイ容疑者の相反する存在にちぎられていく。その様はまるで核分裂でちぎれて飛び出た中性子が更に他の原子核にぶつかり核分裂を起こしていく連鎖反応さながらだ。原爆を作ったことで、オッペンハイマーは世界を全く2つにちぎってしまった。カラーとモノクロに分かれた本作の映像は彼が世界を2つにちぎってしまったことの、いや核分裂が実際は原子核の破壊であるように、世界を破壊してしまったことの象徴なのである。原爆がちぎったものは、その投下によって無惨に奪われた人々の生命だけに留まらない。

 

革命的な発見や発明というものは、世界のあり方を根本から変えてしまうものだ。本作には世界でもっとも有名な学者の一人アルベルト・アインシュタインも重要人物として登場するが、彼の提唱した相対性理論は時間の流れは一定だという常識を覆すまさしく革命的なものであり、その発見は世界を大きく変えてしまった。オッペンハイマーの原爆も世界を安全保障のあり方を根本から変えてしまった点では相対性理論に比肩する発明であり、ならば本作ラストで語り合うのにこの2人ほど相応しい組み合わせはあるまい。

 

大抵の発見や発明の影響はあくまで物理的な範囲に留まるが、相対性理論や原爆がもたらしたのは人々の思考や概念といった目に見えない部分にまで及ぶ影響だ。オッペンハイマーは「原爆を爆発させると連鎖的に大気に引火して世界が滅ぶ」という計算を気にかけ、誤りだったことが物理的には証明されたにも関わらずラストで自分達はそれをやってしまったとアインシュタインに語るが、彼は自分の行いが物理に留まらない影響を及ぼしたと知っているからこそそんな非現実的なことを口にするのだろう。私達が現実に生きているのは、彼によって破壊され今なお連鎖反応の続く世界である。
革命的な発見や発明は世界を核分裂・・・させる。その破壊的な影響は、物理的目線だけではけして計り知れないものなのだ。

 

感想

以上、映画オッペンハイマーのレビューでした。見ようか見まいか迷いつつも予定が厳しいかなー……となっていたのですが、土曜にあった用事が終わってみると今から即向かえば見られる!という状況になってまして。「今日中に決めないと他の人に買われちゃいますよ!」な詐欺的思考に自分を追い込んでえいやと映画館に向かってきました。
色々と物議を醸した本作ですが、観終わってみると反戦反核というより「核兵器についてもっとよく考えるべきではないか」と訴える内容だったのではないかと思います。少なくとも核兵器を「ただの兵器」として扱ってはいない。それは物理的な影響だけを絶対的な「現実」として取り扱おうとする姿勢への批判とも言えます。この観点に立った時、広島・長崎に落とされた原爆がもたらした物理的被害を直接描かないことにも一定の理屈はあるように感じました。もっとも、物理的影響すら必ずしも周知されていないのが現状では?とも思わないではないのですが。

 

私のレビューのやり方で題材が現実とダイレクトにリンクしている本作に立ち向かえるのだろうか?という疑問があったのですが、観終え書き終えてみるととてもよい経験ができました。先述した事情の他に鑑賞意欲を触発してくれ、またレビューを書くにあたっても参考になるところ大だった「宇宙、日本、練馬」のねりまさんや「NiEW」掲載の小田切博さんの記事に感謝です。ありがとうございました。

 

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