オッドアイの景色――ダッシュ「ブルーアーカイブ The Animation」9話レビュー&感想

(C)NEXON Games / アビドス商店街

赤と青の「ブルーアーカイブ The Animation」。9話ではアビドスの絶望的な状況が明かされる。過去を知るホシノが見ている景色は、左右で色の異なるそのオッドアイに等しい。

 

 

ブルーアーカイブ The Animation 第9話「アビドス砂漠へ」

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1.ユメの景色、ホシノの景色

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アビドスの土地の権利は既に大半がカイザーコーポレーションの手に渡っている。アヤネの調査結果はシロコ達を驚愕させるものであった。なぜカイザーコーポレーションは砂漠化の進んだアビドスの土地を欲するのか? ゲヘナ風紀委員長ヒナの言葉から、砂漠に理由があるのではないかとシロコ達は調査に向かうが……?

 

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枯れるオアシスの「ブルーアーカイブ The Animation」。9話は少し時を遡り、ホシノがアビドス生徒会長副会長だった時期の回想から始まる。「おじさん」を自称するゆるふわな現状が嘘のようにがみがみとしたホシノと、威厳のおよそ欠けたのんびり屋の生徒会長・ユメ。髪型や背丈を始めとした外面的要素も含めて二人は全く対照的であり、冒頭の言い争い(というよりはホシノが一方的に噛みついているのだが)からも両者からは容易に一つの対立関係を見て取ることができる。すなわち、砂漠化の進むアビドスでまた人がたくさん集まる日を夢見るユメの「奇跡」と、その象徴である砂祭りのポスターを破り捨ててホシノが訴える「現実」……両者を並べた際、多くの人は奇跡より現実を見るべきだと考えることだろう。では、「現実」を見てみよう。

 

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アヤネ「この校舎と周辺の一部以外、砂漠に覆われてしまったアビドス高校本館とその周辺数千万坪の荒れた土地。更には市内の建物や土地までもが所有権を書き換えられていました」

 

今回シロコ達が知るアビドスの実情。それは絶望的と言うよりもはや末期的なものであった。それぞれの学校の自治区はその学校に帰属するというのがキヴォトスの常識だが、アビドスは借金返済の過程で土地の大半をカイザーコーポレーション(の系列会社)に譲り渡してしまっていたのだ。カイザーコーポレーションにとってはおそらく土地の入手こそが真の狙いであり、借金の返済ばかりに目が向いていたシロコ達は彼らの企みに全く気付けていなかった。そう、現実を見ているつもりで実際は何も見えていないというのもまた「現実」。

 

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理事「これで分かったかな? 君達の首にかけられた紐が今、誰の手にあるのか」

 

カイザーコーポレーションはなぜ砂漠化の進んだ価値の低い土地を手に入れようとしたのか? ゲヘナ風紀委員長のヒナが砂漠でカイザーコーポレーションが何かしていると言っていたのをヒントに枯れたオアシスの跡地へ向かったシロコ達対策委員会は、そこで更に自分達の無力さを突きつけられる。オアシスの跡地はカイザーコーポレーション系列の民間軍時会社の基地となっており、シロコ達はてっきり自分達を潰すための準備かと考えていたのだが、彼女達を出迎えたカイザーコーポレーションの理事に言わせればそれは一種のうぬぼれであった。民間軍事会社は理事の目的である「宝探し」を妨害された時のための備えであり、アビドス高校などこんな戦力を使わずとも容易く潰すことができる……実際、彼の電話一つでアビドス高校の抱えた借金の変動金利は3000%も上昇させられ、利子の返済すら不可能になってしまった。ヘイローにより高い身体能力を持っていようとも、シロコ達はしょせん子供に過ぎない。これもまた「現実」。

 

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ホシノ「切羽詰まると人はなんでもやっちゃうもんなんだよ。悪くなると分かってながらも手を出しちゃう。それだけの話だよ、セリカちゃん」

 

「現実」を見ることの最大の弊害。それは自分の見ている「現実」が全てだと思いこんでしまった時、人はたやすく一線を越えてしまうという危うさである。かつてアビドス生徒会が利子返済のためやむなく土地を売ってしまったように。まともな手段で借金返済は不可能と諦めたシロコや後輩のセリカが、今度こそ犯罪に手を染めてしまいそうになるように。
「正義の暴走」のカウンターとして現実を掲げる人は多いけれど、ただ一つのものに隷属した時、悪い結果を呼ぶと知っていてなおそれを正当化させてしまうのは「現実」も例外ではない。つまり「現実を見る」とは万能の処方箋ではない。では、ホシノと対置されたユメが見ていた「奇跡」とはなんなのだろうか?

 

2.オッドアイの景色

ユメが見ていた「奇跡」とは何か。それはかつてを振り返る時のホシノの口ぶりによく現れている。

 

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ホシノ「まあそんなこともあったね。といっても、会長と私の二人しかいなかったけどね」
先生「え、二人だけって……」
ホシノ「うん。その時は既に在校生も2桁になってたし、教職員もいなくて授業もとうの昔に途絶えてた。生徒会室もただの物置になってたし……会長は無鉄砲で校内でも随一のポンコツ。私の方は嫌な性格の新入生でさ。何もかもメチャクチャだったよ」
セリカ「なにそれ、どんな生徒会よ?」
ホシノ「まあ、肩書だけのお馬鹿さん二人が集まっただけだからね。いやあ、あの時はあちこちウロウロしまくって、ほんとに馬鹿みたいに何も知らないままでさ……」

 

言葉の上ではろくでもない「現実」を語るホシノの声にはしかし、抜き去り難い懐旧の思いがあふれている。これは例えばシロコがホシノのちゃらんぽらんぶりを語りつつも直後に真っ向から信頼を伝えたり、後半で先生と話す際にホシノがこの砂だらけの高校生活をどうしようもなく愛おしく思っているのを打ち明けるのと同様であろう。「現実」的にはなんら褒めるところのない状況にしかし、私達は「奇跡」のように幸せを見つけ出すことがある。現実と奇跡は対立するとは限らず、時に重なりすらする――そう、かつてホシノとユメが二人で生徒会であったように。

 

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私達は現実だけでは生きていけない。どんなに馬鹿げていると知っていても、奇跡を望む心なしにはかえって現実を見ることすらできなくなってしまう。ユメはある日「いなくなった」ことが今回の回想やこれまでの話では示唆されているが、ホシノは一人になって、「現実」だけになって初めて彼女がどんなに大切な存在だったか理解したのだろう。ホシノが言うような生徒会長としての責任なんて、ユメはきっと十分過ぎるほど分かっていた。アビドスが元に戻ることなどない「現実」なんて、土地を切り売りしなければならなかった(土地が売られた時期は不明瞭なので、あるいはそれを知っていた)彼女は百も承知だった。それでもその現実に抗うために、いや、現実だけになってしまわないためにこそ彼女は夢見がちなほどに奇跡を語っていた。そこに真実が宿っていたからこそ、自分はユメに現実を見るべきだなんて子供っぽいことを言っていられた。奇跡と現実が一緒にいられたあの時間がどれだけ幸せだったか、失ってみてはじめてホシノはそのかけがえのなさに気付いたのだ。

 

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ユメが去り、最上級生となった今。ホシノはかつてのユメのように皆の前で振る舞っている。アビドスの将来のための何か重大な秘密を抱えた、もっとも「現実」を見る立場でありながらシロコ達の絶望と暴走を止め、努めて楽観的に振る舞おうとする。「奇跡」を願いもする。けれど彼女には奇跡を願うことはできても、奇跡を語ることはできない。ユメのように振る舞おうとしても、「現実に」やはり彼女はホシノであってユメではない。

 

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ホシノ「ふわふわと、奇跡だの幸せだのなんだの……ね」

 

ホシノの見る世界、それは奇跡と現実が二重写しになりながらもけして一致しない世界である。赤と青の瞳がそれぞれに映し出す、オッドアイの景色を彼女は見ているのだ。

 

感想

以上、ブルアカのアニメ9話レビューでした。遅くなってしまってすみません。エロゲーの影響をよく言われているらしい本作ですが、今回は特に勝手にテキストとモノローグが脳内で浮かんでしまう回だったなと思います。正直、自分でもどこまで妄想でレビュー書いてるのか判断つかないところがある……さてさて、次回あたりホシノの抱えた秘密も明らかになるのかしらん。

 

 

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