複製達の継承譚――「シドニアの騎士」感想

シドニアの騎士(1) (アフタヌーンコミックス)

  弐瓶勉の「シドニアの騎士」全15巻を読了。単行本自体はアニメ1期視聴時に買ってたのですが、あれよあれよと時間は過ぎ、2期終了から1年経ってようやく読むことができました。
 通して読んで本作から感じたのは、この作品の主要人物は様々な形で「複製」「代役」としての側面を持っているんだなということ。イザナは祖母にうり二つの容姿をしているし、纈は緑川の妹であり勢威に「代わって」司令補になる。非武装主義者に作られたアンドロイドの市ヶ谷テルルは彼らの願いの複製のようなものだし、最終的に22人姉妹に至る仄シリーズは言わばセルフコピー。サマリや弦打あたりは分かりませんが、どのキャラもそれぞれ異なる形で誰かの何かをコピーされています。だいたいがシドニアの住人自体、光合成できるように遺伝子調整された言わば現代人の複製みたいなものなわけだし。
 そう考えると、最初のヒロインである星白閑が死ぬのは当然なんですよね。彼女は白羽衣つむぎという複製の「オリジナル」なんですから。

 

 でも、複製は同じ道を歩むものなのか?と言えばそうではありません。ヒロキが長道をクローンではなく孫として扱い、自分の経験や技術を映すのではなく伝えたように、この作品では複製は「継承の手段」として扱われているからです。だからそれぞれがオリジナルとは違った人生を歩んでゆく。イザナは研究者ではなく情報処理担当として力を発揮し、纈は操縦士や司令補に留まらず司令にまでなり、市ヶ谷テルルは非武装主義を捨て、セルフコピーの仄シリーズは妹達の死を経て長道を受け入れてゆく。長道は「シドニアの騎士」としての役割を継承する一方で、ヒロキが決別した艦長と和解する。彼らには全く同じ道を歩く必要もなければ、全く違う道を歩む必要もない。
 一方で不老不死である「不死の船員委員会」はオリジナルにあたるわけですが、継承者ではない彼らはいびつに姿を変えています。棺桶みたいな機械に入ったメンバーはもちろんですが、ヒ山はララァはぬいぐるみ型の生命維持装置から出られないし、小林艦長は仮面をかぶることで自らの人間性をあえて放棄している。

 

 そして、物語のラスボスである落合は両方の特質を醜悪に兼ね備えています。劇中に登場するのは落合本人ではなくコピーでありながらその思考はオリジナルと全く変わらず、逆に他の人間はシドニア血線虫で自分の傀儡(=複製)にしてしまう。極めつけには融合個体となり「自らが永遠に生きればそれは人類の存続である」という妄執に囚われている。これはつまり「継承の否定」であり、故に落合は長道達と決定的に相容れないわけです。長道に対する命乞いが「星白にもう一度会わせてやる」なのも実に彼らしい。それは星白の複製に彼女と全く同じ道を歩めって言ってるのですから。
 継承性の否定という意味では長らくシドニアの指揮を執っていた小林艦長は落合に近いところがあり、故に自分も同じだったのかもしれないと省みるのですが、最終的に艦長を纈に譲って引退することで彼女は落合の同類でなくなるわけですね。


 というわけで「オリジナル」と「複製」という形で述べてきましたが、本作には1人他にない立ち位置のキャラがいます。誰あろうライバル(?)の岐神海苔夫です。
 人生を順風満帆に歩いてきた彼は自分こそが継衛に乗るべき=シドニアの騎士の「複製」になるべきだと考えてきたわけですが、その夢は突如として現れた長道に奪われてしまう。彼を罠にはめたりもしたが結局長道は立ち直ってしまい、「また 一緒にシドニアを護る為に戦おう!!」とすら言われる始末。あの瞬間、彼は長道が本当に「シドニアの騎士の複製(継承者)」であることを認めざるを得なくなっちゃったのだろうなと思います。それは自分はシドニアの騎士の複製ではないと認めることでもあり、本作において、誰かの複製でないのを認めることはアイデンティティの喪失に相当する重大な出来事。
 で、行き場を失った彼は自らが継承できる岐神家の秘密に触れ、落合に体を乗っ取られる。そう、「落合の複製」としてのアイデンティティを獲得するのです。その事は落合から開放された後も海苔夫の中で生き――すなわち「継承」され、長道に落合という人物を伝えることになる。同時に彼は長道から継衛改二を受け継ぎ、彼とは別の戦場でもう1人のシドニアの騎士になる。かつて長道こそがシドニアの騎士の複製であることに涙した彼ですが、そうなんですよね、別に複製は1人じゃなきゃいけないわけじゃないんですよね。


 物語はもっとも普遍的な「複製」――長道とつむぎの子供、長閑を迎え、そして新たに複製を作る旅、播種船新シドニアの出航を見送って幕を閉じます。これからもガウナとの戦いは続くけれど、人類は様々な形で自らの複製を作り続けていく。本作はそういう、「継承」の物語であったのじゃないかなと思います。この壮大なお話にSF、メカ、ラブコメ等の鮮やかな味付けがきちんとされてるんだからすごいもんだなあ……上述した海苔夫にしても、かつて敵対した相手との共闘という燃えシチュに仕上がっているわけですしね(更に、かつてガウナに食われた山野の「複製」である弟も居合わせるという抜け目なさよ)。実に楽しい作品でした。
 あー、しかしイザナは漫画で読んでもかわいかったなあ……