わたしとわたしを繋ぐ旅――「魔女の旅々」12話レビュー&感想

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© 白石定規・SBクリエイティブ/魔女の旅々製作委員会
魔法使いの国や正直者の国など多くの国を訪れてきた「魔女の旅々」。最終回となる12話でイレイナが訪れたのは「あなたの願いを叶える国」――しかし「大金持ちになれますように」と念じながら門をくぐった彼女を待っていたのは金銀財宝ではなかった。大金持ちになれないのなら何を願ったのか、この時イレイナは自分の中の一貫性を失っていると言える。今回の旅はすなわち、途切れた自分を繋ぎ直す旅だ。
 
 

魔女の旅々 第12話(最終回)「ありとあらゆるありふれた灰の魔女の物語」

 
 
「あなたの願いを叶える国」と書かれた門を潜ったイレイナは、
見知った城の中で眼鏡をかけたもうひとりの自分に出会う。
そこには性格が異なる何人ものイレイナが存在した。
イレイナの願いとはいったい何なのか?
公式サイトあらすじより)
 
 

1.多数のわたしは皆わたし

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© 白石定規・SBクリエイティブ/魔女の旅々製作委員会
この12話で目を引くのはもちろん、本渡楓さんの力演が光る多数の「わたし」(イレイナ)の登場であろう。灰ならぬハイ(テンション)の魔女なわたし、やさぐれたわたし、心に闇を抱えたわたし、ゾンサガからやってきたわたし、眼鏡の似合うわたし……集った「わたし」はみなイレイナの姿をしていながら、別人と見紛うほど異なっていて統一感がない。
しかしそもそも、イレイナというのはそんな統一感のある人間だったろうか?
 
才能を鼻にかけた振る舞いを窘められ理解しているつもりでもどこか傲慢で、自他ともに認める美少女でありながら体つきは貧相とも言われ、世知に長けているはずなのに大雑把で間抜けとすら言われる。3話で国や人の不幸をドライに見捨てながら9話では自分の無力さに涙するところなどは象徴的だが、魔女や旅人であることを除けば一言で表現することが難しいのがイレイナだった。多数の「わたし」はイレイナという人間のバラバラさの具現であり、彼女がたびたび「こんなことは願っていないはずなのに」と呟くのはそんな自分の見つめ直しなのである。
 
 

2.遠く見えるわたしも皆わたし

イレイナという人間には統一感が無い。それはこれまでの話からも、今回の多数の「わたし」からも明らかだ。しかしそういう私たちにしても、イレイナのことをとやかく言えるほどの統一感はあるだろうか。おおらかな人でも案外どうでもいいことには細かったりするし、同じような出来事があっても片方にしか憤りを感じないなどということは珍しくないはずだ。更に目を広げれば、何か1つのことでは考えが等しい人間だって別のことになればおそろしく違う価値観を持っていたりする。
バラバラなのはイレイナでも私たちでもなく人間そのものであり、しかしそれらは確かに一個人として存在している。どれだけ思考や価値観が異なっても、私達はみな同様に人間として存在している。ならばどれほど別人のように違って見えても、多数の「わたし」は全てイレイナに他ならない。
 
 

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© 白石定規・SBクリエイティブ/魔女の旅々製作委員会
知的なイレイナ「あなたは安全なわたしですか。それとも、悪者のわたし?」
 
眼鏡の似合う「知的なわたし」イレイナは、「主人公のわたし」イレイナと初めて会った時そう問いかけた。「粗暴なわたし」は自分以外の自分を見るなり攻撃してくるのだから当然の反応ではあるが、彼女は「粗暴なわたし」を自分達とは違う存在として除外していた。
 

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© 白石定規・SBクリエイティブ/魔女の旅々製作委員会


粗暴なイレイナ「やっぱり、わたしと貴女達は違うんですね」
 
他のわたしに時計郷ロストルフでの経験を問うた「粗暴なわたし」は、無いというイレイナの反応に自分との違いを強調した。彼女もまた、自分以外のわたしを自分とは違う存在として除外していた。いや、殺して切除しようとしていた。
 
確かに今回集まったイレイナは全員が違う存在だ。もし元いたのと別の世界に帰ったとしたら、心に深い闇を抱えたイレイナも含め以前と同じように振る舞えるものではなないだろう。
しかし同時に、今回集まったのは全員がイレイナだ。もっとも敵対的に見えた「粗暴なわたし」はむしろ「主人公のわたし」にもっとも近い経験をしていたし、多数のわたしが集ったのはそれぞれが異なる可能性の自分を見てみたいと願ったから起きた奇跡だった。バラバラのイレイナは結局イレイナ以外の何者でもない、等しい存在だったのである。
 
 

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© 白石定規・SBクリエイティブ/魔女の旅々製作委員会
1人の人間の中に別人のように異なる一面があり、別人の中に自分と見紛うような同じ一面がある。それを自分の中に繋いで、イレイナは旅を続ける。誰かと同じで、しかし誰とも同じでない旅――「魔女の旅々」に重ねられた「々」にはきっと、その不思議が重ねられているのだ。
 
 

感想

というわけで魔女の旅々の最終回レビュー&感想でした。
 
一方的なものであるのを断った上で正直に言うと、本作、期待したものとはずいぶん違っていたのですよね。
キノの旅」を比較に挙げる声はたくさん見ますが、僕が期待していたのはどちらかというと「魔法使いの嫁」だったのです。寿命が尽きて菩提樹になる竜、飼い主より長く生きていて見守っている猫、妖精と人の悲劇……魔法のある世界の人ならざるものを交え、だからこそ描ける人の物語。そんな格調の高いものを期待していたのです。
ですが本作は基本的に人間しか出ないし、出てくる人間もフェティシズム村長のようにどちらかと言えば現代的な俗っぽさが頻出する。1話1話もそれほど想像から離れる内容というわけではない。だいぶ、困惑しました。この最終回は比較的、期待した方向性だったかな。
 
ただそんな中でも、イレイナの愛されぶりは色々と心奪われる面白さがあって。サヤが道化を演じなければ耐えられないほどイレイナが好きなところや、フラン先生が5話で溺愛ぶりを表情一つ変えずに告白する場面などにはこちらが床をのたうち回りそうになることもありました。
そして妙味と言えるのは筆安一幸氏によるシリーズ構成で、9~12話がひと繋ぎで見られることは既に別稿(「魔女の旅々」9話と12話を繋げる考察)で書いていますが、今回書いたようにこの12話にはこれまでの話全体のバラバラさを包摂する懐の広さがある。アニメ化されたのが原作の分量の何分の一なのかは分かりませんが、この全12話の選び方・全体としての作り方はとても見事なものだと感じました。
 
最後まで見て良かったです。スタッフの皆様、お疲れさまでした。