個性あふれる9+1人の少女1人1人のドラマで固有と普遍を描く「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」。今回の主役・桜坂しずくは演劇部との兼部という固有性があり、それ故に求めるアイドル像も独特だ。
「愛されるスクールアイドルを想像し演じる」……取材を受けている中でも演じているとなれば、そこでは実像と虚像の逆転が起きていると言える。また、演劇での彼女の主役降板は取材の直後に起きており、取材時の事実が後には合わなくなってしまうのもこれもまた実像と虚像の逆転だ。
こうした世界ではもはや、虚像や虚構は舞台の上だけの存在ではない。この8話は、30分全てが桜坂しずく主演のステージなのである。
ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第8話「しずく、モノクローム」
校内での知名度も上がり、新聞部から取材を受けることになったスクールアイドル同好会。盛り上がる中、演劇祭の主役を降ろされてしまうしずく。そのことを隠すように、いつも通りに振舞って演じていた。かすみと璃奈はクラスメイトから、しずくが主役を降ろされたことを聞くと、元気づけようとしずくを連れ出す。しかし、そんな2人にも自分を演じて偽ってしまう。作り笑顔で去っていくしずくだったが、自分をさらけ出せない自分が受け入れられず、更に塞ぎ込んでしまう。
(公式サイトあらすじより)
1.桜坂しずくの演技とは
桜坂しずくは演技力に長けた少女である。取材時の答えのようにそれは舞台の外でも発揮されていて、同好会の皆はしずくの様子からは主役降板への落胆を見抜けていない。友人のかすみが気付いたのすら、教室(=内心)でため息をつくしずくを見た偶然の産物に過ぎない。常日頃から「愛されるスクールアイドルを想像して演じる」彼女の実力は、こうした描写からも伺うことができる。そして皮肉なことに、これこそ彼女が主役を降板させられた決定的な理由でもあった。
「無理だわ。私の歌なんて誰にも届かない」
別人を描いたものでありながらしずくの内面に深く重なる演劇で、主役の少女のシャドウはそう言う。自分をさらけ出す方向での演技が求められるこの演劇の「歌」とはすなわち「本心」であろう。ならば確かに今のしずくに主役は務まらない。自分の本心を隠すために演じる 役者では歌を誰かに届けることなどできない、シャドウの指摘する問題を解決できないのだ。
そして逆に言えば、演技とはけして自分の本心を隠すものばかりではないのである。
2.天王寺璃奈の見る演技とは
「知らなかった、しずこがあんな頑固だったなんて。……ほんと、どうしちゃったんだろう」
遊びによる傷心への気遣いも拒絶され、かすみは戸惑う。しずくにとって演技とは自分の本心を隠す防壁であり、だからかすみにはもうしずくの事が分からなくなっている。しかし一方で、璃奈はむしろそこにこそ桜坂しずくという人間を見出していた。
「私の時は、愛さんがぐいって引っ張ってくれた。みんなが励ましてくれた。だから、ライブができた」「私には、愛さんがいた。しずくちゃんには……」
璃奈は共感によってしずく固有の悩みを普遍的に分解し、それを元にかすみにアドバイスしてみせた。しずくの演技を見れば見るほどに、璃奈は自分の推測を確信していたのだろう。璃奈にとってしずくの演技とは隠すものではなく、むしろ本心を教えてくれるものだったのだ。
3.中須かすみの演技とは
しずくの本心が分かったなら、かすみがすべきことは1つ。しずくの凝り固まった演技を叩き壊すことだ。遊びに誘った時、璃奈から推測を聞いた時、しずくの演技の防壁には既に蟻の一穴が空いているのである。ならばかすみはそこから水を、つまり本心を決壊させてやればいい。
「目、ちょっと腫れてるよ」「しずこが頑固キャラだってことはよーく分かったよ。でも……」「そんな顔で必死に隠そうとしないでよ、私としずこの仲でしょ!?」
もう、しずくの演技は自分の本心を隠すためのものとしては機能しない。これは同時に、しずくの嘆きの否定だ。誰にも届かないと絶望していた彼女の歌は、本心は本当は届いていた。そしてかすみは更にしずくのお株を奪ってみせる。本心をさらけ出して嫌われるのが怖いと吐露するしずくを殴る――ように見せてデコピンを入れる。そう、かすみはここで演技を始めているのだ。
「もしかしたら、しずこのこと好きじゃないって言う人もいるかもしれないけど、私は桜坂しずくのこと大好きだから!」
紛れもない本心をしかしかすみは、自分で口にしておきながら赤面してしまう。芝居がかった形でしか、こんな恥ずかしい言葉は口にできるものではない。そもそもかすみは、ナチュラルな振る舞いではなく芝居がかった言動をすることで自分のかわいさをアピールしてきた。つまりかすみはしずくに、「自分の本心をさらけ出すための演技」もあることを身をもって示してみせたのである。
4.そして「桜坂しずく」がステージ上に姿を表す
演技が1つでないことを知って、だからしずくは再び主役にもどることができる。舞台の上で彼女は、自分のシャドウに告げる。
「ずっとあなたから目をそらしていた。でも、『歌いたい』その思いだけはきっと真実!」
しずくが自分をさらけ出せなかったのは当然で、彼女はその前に「自分を受け入れる」必要があったのだ。意外と頑固で、意地っ張りで、本当は自信がない自分を受け入れなければならなかったのだ。
これまでのしずくの演技は何より「自分に自分の本心を隠すためのもの」だった。そしてそんな演技をしながらも、『歌いたい』思いだけは隠すことができていなかった。だからそれだけは真実で、それこそは「逃れようのない本当の私」であることしずくは皆の前で発見した――さらけ出したのである。
「本当の私を、見てください」
これからもしずくは、演じることで本当の自分を発見していくだろう。だから彼女のステージを見ることは、本当の彼女を見ることなのだ。
感想
というわけでアニガサキの8話レビューでした。本当に丸一日費やしてしまった、来週はとじともOVA後編があるのにこんな調子で大丈夫なのか……
「自分をさらけ出せるようになりましためでたしめでたし」だけだと物足りなくて、どうもそれで済む話とは思えなくて悩んだ結果普段の倍の段数に膨れ上がりました。かすみの激励の段階で物語としては理屈がつきそうなところ、更にもう一段あるんだからハードルが高い高い。そしてそれだけに素敵な話だったなと思います。桜坂しずくの場合は「自分の受容と発見」が自分を大切にすることなのだな。
さて、単独主役のラストバッターは朝香果林。大人っぽいようで子供っぽいというこのあざとさの塊みたいな娘は何を見せてくれるのでしょう、そしてそこから先に待っているのは?