異世界らしからぬ「異世界美少女受肉おじさんと」2話。橘は神宮寺のスキル「楽園への扉」で出現した自分の部屋への扉が異世界に「似つかわしくない」と困惑する。なぜこのスキルは「楽園への扉」などという名前なのだろう?
異世界に飛ばされた橘と神宮寺の二人は、森の先に小さな集落を発見する。しかしその集落は今まさに野盗の襲撃を受けていた。そうとは知らず、この世界の情報を集めるため集落に単独で潜入した橘だったが、異性を魅了してしまうスキル「絶世の美貌」によって橘をめぐって野盗たちが勝手に仲間割れを起こし……。
(公式サイトあらすじより)
1.橘無双
橘「おお~~、ファンタジーじみてきたぁ!」神宮寺「日本じゃまず見られない景色だな」
この2話はいよいよ本格的に異世界での冒険が始まる回であり、あらすじにすればその流れは極めてオーソドックスなものだ。訪れた村を襲っていた野盗を撃退して村人から感謝と報酬を受け取り、旅の支度を整える。こう書けば、多くの人は似たような展開を漫画なりゲームなりで見たことがあると感じるだろう。
橘「お前と比べると数値低いなあ」神宮寺「この数値がどれほど信用できるかも分からない。中に何人いるかも不明だ。慎重に行こう」
ただ本作が異質なのは、「ちから」や「かしこさ」といったパラメータ化できるものがほとんど事態に寄与していない点だろう。例えば村を襲っていた野盗達は橘より高いステータスを持っていたはずだがまともに力を発揮できなかったし、味方側のハイスペック筆頭である神宮寺は敵味方の別なく田植えのように人を地面に突き刺してしまっていたりする。だがそれは、圧倒的な力が振るわれる類のカタルシスが本作に存在しないことを意味しない。
橘「俺のせいか……?俺のせいなのか……?」
今回圧倒的な力を振るっているのは言うまでもなく、転移にあたって美少女の姿を受肉した橘だ。彼女を見た野盗は自分の妻にしようと勝手に仲間割れを始めて自滅したし、野盗から救われた村人は彼女を女神様と崇める。先に書いた神宮寺の人間田植えにしても、橘にバッドステータスとしての魅了を付加された結果の事故とでも呼ぶべきもの。そしてこれらは全て「絶世の美貌」としてスキル化されるほどの美しさを持つ橘に起因している。
橘(すっげぇ~~、なんて気持ちいいんだ!かわいいというのはこんなにも全能感があるものなのかぁ……!)
いわゆる異世界ものの楽しさの一つは主人公の"無双"っぷりにあるとされるが、この2話では橘はまさしく無双しているのだ。……ただ、彼が無双できるのは美しさだけが理由だろうか?
2.異世界転生×恋愛AVG
橘の無双は美しさだけによるものなのか?これを考えるにあたって注目したいのは、神宮寺の中学時代の回想である。
橘「ほれ貸せよ」神宮寺「?」橘「どうせ帰宅部だから帰ってもすることねえし。ていうかお前だって面倒だろ、これ」
中学時代から役員を務め能力も高く頼られることの多かった神宮寺だが、同時に彼は人から都合よく使われる人間でもあった。ある日も教師から書類作りを頼まれもうひとりの役員には逃げられ、また神宮寺自身も自己犠牲を当然のこととして教えられてきたため黙々と一人で作業をしていた。そんな彼を見て見ぬ振りできず能力が低いなりに手伝ってくれたのが橘であり、だから神宮寺は彼に尊敬に近い感情すら抱いていたことがこの回想では語られる。
この回想は友情の理由として納得のいくものだが、例によって前髪で目の隠れた橘とのやりとりを見てどこか既視感を覚えた人もいるのではないだろうか。……そう、これは恋愛AVGで真面目な委員長キャラを攻略するシチュエーションに酷似しているのである。
神宮寺(面倒だと分かっているのに見て見ぬ振りができない。いざという時に他人のために行動できる人間。俺のような、言われるがままの者ではなく……)
恋愛AVGの醍醐味の一つは、現実のレベルを飛び越えた美しいキャラクター達との恋愛が楽しめる点にある。非常に乱暴な言い方を許してもらえるなら、私達は恋愛AVGを遊ぶ時はその世界に転生し、本来ならとても付き合えないようなハイスペックな人間を攻略するのだ。
そして多くの場合、プレイヤーが共感できるよう主人公はゲーム内でも高いスペックを持ってはいない。ルートを選ばなければ結ばれないように、ゲーム内の主人公もまた、本来はとても攻略対象と付き合えるような存在ではない。にも関わらず選択によって恋愛ができるからこそ、こうしたゲームは人を夢中にさせる。
学力や身体能力が優秀なわけでもない主人公がその行動によって攻略対象のハートを射抜き、周回によって"無双"するカタルシス。こうしてみれば恋愛AVGの快感は、異世界転生ものにも通じるそれだと言えるだろう*1。
いささか遠回りになったが、つまるところ人は目に見える数字やスキルだけで無双するわけではないのである。
3.君の懐は楽園への扉
人は目に見える数字やスキルだけで無双するわけではなく、行動によっても人は無双する。実際、橘は回想以外でも行動だけで神宮寺をメロメロにしている。
橘「お前が過保護すぎるのがよくない!」神宮寺「ならいい加減自立しろ、馬鹿者……!」
例えば神宮寺のスキル「楽園の扉」は橘の部屋をコピーした異空間に繋がっており、そこで神宮寺はまともに災害時の食料の備えもしていなかった彼に怒ったものの「その時は神宮寺が助けてくれるだろ」と言われてむしろときめいてしまった。
神宮寺「橘……俺は……俺は……」
例えば橘は美少女になっても中身はおっさんのままだが、それがかわいさを無防備に晒す結果にもなっているから神宮寺はドギマギする。男の時と変わらず大きめに取る一口はハムスターのような愛らしさだし、神宮寺の出血を止めようとすれば自分の胸元が彼の視界に入っていることにも気付かない。
目に見えるスペックが平均的だから回路として成立しづらかっただけで、橘にはもともと人たらしの才能があった。本来は似つかわしくない行動を人に取らせてしまう魅力があった。コピーされた橘の部屋は異世界に似つかわしくないが、これは美貌がきっかけにしろ行動がきっかけにしろ、彼の懐に入ってしまった者が日頃からすれば似つかわしくない 行動を取ってしまうのと同じ理屈なのだろう。ただ、それはけして不都合ばかりを意味しない。
橘「まあお前は弱みを握られて不愉快かもしれないけど、握ったのが俺で良かったな?」
生きる上では仕事だけでなく家庭や趣味も大切と言われるように、人は一つの場所や一つのあり方だけでは生きてはいけない。自己認識の通り振る舞える場所が大切な時もあれば、逆にそういう羽目や枠組みを外して振る舞える場所が必要な時もある。完璧人間の神宮寺にとって橘の懐は後者の場所であり、そこでは時に弱みを握られることすら、自分が今の橘をかわいいと思ってしまっていると知られたことすら救いになり得る。
神宮寺「(火事のさなか)そうか、俺は弱みを握られたのか。こんなことは初めてだ……!」橘「浸ってる場合か――!」
神宮寺にとって橘の部屋への扉は、彼の懐は、文字通り「楽園への扉」なのである。
感想
というわけでファ美肉おじさんの2話レビューでした。神宮寺のスキルで出現する扉は「本来ありえないものへの扉」なんじゃないかというのは割とポンと浮かんだのですが、実際に書き始めてみると異世界転生×恋愛AVGな話になぜか流れ、最終的になんだかエモーショナルな結論にたどり着きました。愛と美の女神、劇中で言われるように雑なのか、それとも案外当を得ているのか底が知れん。
今日はスッと書けそうだな、というはずが思ったより時間がかかってしまいましたが、ゲーム的にパラメータが見られる要素なんかにも物語的な必然が見いだせて個人的に満足度の高い時間になりました。さて、次回はこれまた美しさに自信のあるエルフとのご対面のようですがどうなるんでしょうね。楽しみです。
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— 闇鍋はにわ (@livewire891) January 19, 2022
どうして神宮寺のスキルは「楽園への扉」なんて名前なの?というお話。#ファ美肉おじさん#ファ美肉#Fabiniku