体力づくりは私づくり――「ヤマノススメ Next Summit」5話レビュー&感想

©しろ/アース・スター エンターテイメント/『ヤマノススメ Next Summit』製作委員会
次なる頂への支度を始める「ヤマノススメ Next Summit」。5話ではあおいに登山部入部の誘いがかかる。今回彼女が鍛えるのは、自分の体だけではない。
 
 

ヤマノススメ Next Summit 第5話「登山部からの挑戦!?/武甲山で愛のムチ?」

かえでの同級生で登山部部長の小春が初登場。ひなた以上の押しの強さに圧倒されて部室に見学に行くあおいは、小春たちとともに天覧山までのランニングにチャレンジすることになる。
 

1.心の体力づくり

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小春「体験入部しない? 興味があったら放課後部室に来て! いや、なくても来て!」
 
コミック アース・スターで2011年に連載開始、エイトビットによって2013年から何度もアニメ化され根強い人気を誇るしろの漫画「ヤマノススメ」。今回は主人公である高校1年の少女・雪村あおいが登山部への入部を誘われる話と武甲山へ母や友人と登る話の2本立てであるが、どちらの話でも彼女が意識しているのは「体力づくり」だ。彼女は高山病で挫折した富士山登山に再挑戦したいと願っているが、そのためには基礎体力の向上が欠かせない。登山部に誘われた際も最も興味を引かれたのはフィジカル面の強化であったし、後半の秩父武甲山登山にしてもきっかけはトレーニング向けに紹介を受けたためであった。「冬だからってのんびりしてられないのです。来年の夏に備えてもっと体を鍛えなきゃ」という締めの言葉*1からも、体力づくりは異なる2本の話を結ぶ共通点として見ることができるだろう。ただ、共通点はそれしかないわけではない。
 

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恵「こういうのは助け合いでしょ? ほら、私も持っていくから」
あおい「うう、スパルタ……」

 

5話の前後半を繋ぐもう一つの共通点、それは「いつもと違う人と一緒に山に登っている」点だ。あおいには幼なじみのひなた、登山の先輩とも言える楓、朗らかなここな、写真好きのほのかといった山登り仲間がいるが、今回は彼女達の存在感はあまり大きくない。あおいがこの5話で一緒に登る中心人物は、前半では入部を誘ってきた登山部部長の千手院小春、後半は秩父名産くるみそばに付き合う代わりに車を出してくれた母親の恵である。
小春や恵達は登山に関していつものメンバーほど気心が知れているわけではない*2から、あおいは今回どちらの登山でも思いもかけない事態に遭遇する。インターハイを目指す小春のトレーニング登山は想像以上にハードで景色を見る余裕も持てないし、恵からは体力づくりのためとして度々背負いもの(水不足の山頂へ水を揚げるボランティア用ペットボトル等)を増やされてしまう。あおいにとっては、いつもと違う人と登ること自体が新たな荷物になっているとも言えるだろう。
 
 

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荷物とは、山登りで走った場合の負荷だとか山頂へ水を揚げるためのペットボトルであるとかいった物理的なものだけとは限らない。いつもと違うことをする、いつもと違う人と登る心理的な負荷も精神的な荷物であり、それは心でダンベルを持ち上げるような側面を持つ。あおいは今回、フィジカルだけでなくメンタル面の「体力づくり」も行っているのである。
 
 

2.マイペースを問い直す

心理的な負荷はメンタルの「体力づくり」。であれば筋トレを体を壊さないようにやるのと同様に、メンタルの体力づくりも負荷が重ければいいわけではない。そのあたりを考えるヒントは、小春やあおいの台詞から見ることができる。
 

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小春「みんなー、見学者がいるからってカッコつけて無理しないで! いつも通りの自分のペースを守ること! じゃあ出発!」
 

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あおい「マイペースマイペース……」
 
あおいを見学に招いてのトレーニング登山の際、また事前に約束した通り母の荷物を持ったことで小犬にも抜かされるほど歩みが遅くなった際、小春やあおいは「自分のペース」「マイペース」といった言葉を口にしている。言うまでもないがこれは自分に合ったペース、無理のないペースであるから、それを守る限りは体も心も壊れない。体力づくりの基礎はマイペースにある、と言ってもいいだろう。ただ、実際にはマイペースを保つことこそ難しい。
無理をしているかどうかなど他人はもちろん自分ですら気付かないことは多いし、一度決めたペースもいつの間にか自分に合わなくなっていることは珍しくない。実践が難しいからこそ「マイペースで」と言われるのであり、マイペースを保つためにはむしろマイペースを問い直し続けなければ(=鍛えなければ)ならない。そしてその問い直しには、実はペースの異なる他者の存在こそが必要になってくる。他者を見れば自分にないもの、あるいは逆に自分だけのもの等が見えてくるからだ。
 

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あおい(冬だって素敵な景色はたくさんあるのに。わたしはこういう世界にずっと触れていたいのに。今は見てる余裕すらない)
 
例えばあおいは前半では登山部の活動を体験したが、山頂まで走っては駆け下りるそれは彼女の知る登山とはずいぶん性格の異なるものであった。小春達にとっての登山とは体力と知力を究める場であり、トレーニングを行う際のそれには道中の景色を味わう余裕がない。山を登れば当たり前に過ごすものだと思っていた時間が、登山部にとってはそうではなかった。景色を楽しむのは登山者全員の動機ではなく、「自分が」山を登る理由であることをあおいはこの体験で知ったのだ。
 

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恵「お母さんくらいになってくると自分の力の総量が見えてくるし、だんだん体も動かなくなってくるの。だからウォーキングも始めたんだけどね」
 
また後半の武甲山への登山は既に述べたように母・恵(とひなた)との登山であり、年齢の異なる彼女はあおいに様々な示唆を与えてくれる。最近始めたウォーキングから見せる意外なタフさからは、体力が日頃の行動で培われるものであること。年齢を重ねて見えてきている自分の限界からは、今の身体感覚が永続的なものではないこと。隙あらば楽をしようとするあおいを見逃さず荷物を追加する姿からは、彼女の体力づくりにまだまだ余力が有ること。これらは同世代の仲間達との登山では気付けない観点であり、つまりあおいは母との登山で今の「自分が」どういう登山者であるかを知ることができた。
 

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恵「自分の限界が見えないって、きっといいことよ」
 
あおいはいつもと違う面々と山に登ることで、皆が同じとばかり思っていたものが案外そうではなく、今の自分だけのものであることを知った。他者のペースにはないものであることを知った。その中には当然直すべきものもあるし、逆に譲れないものもある。後者の最たる例として、彼女はトレーニング登山の後で登山部への入学を断ったが、これは道中の景色を味わわない登山が自分にとって登山ではなかったから――つまり「マイペース」に欠かせないものを持っていなかったから――であった。小春達との出会いや母との武甲山登山は、自分が当たり前にしてきたことに含まれている自分だけのペースにあおいが気がつく、マイペースを問い直す機会となったのだ。
 
 

3.体力づくりは私づくり

皆が共通と思っていたものが、実は案外自分だけのものであることをあおいは知った。これは別に稀有なことではない。感覚や価値観といったものは案外バラバラだが、自分のそれしか知らなければ私達はどこまでが固有でどこからが共有されたものか判別できないものだ。「ここでやっていけないようならどこでも通用しない」「(日本)人として当たり前のこと」といった言葉が的外れな場合が少なくないのは、この固有と共有の境目が見えていないためである。あおいが今回触れたのは、そうした境目の一端だ。
 

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あおい「わたしは自分のペースでもっと色んなもの見たり、色んな世界を知りたいんです。だからこれは何か違うかなって……ごめんなさい」
 
山をトレーニングの場として活用する登山部の感覚を、あおいは共有できない。彼らと比較した場合、道中の景色を味わいたい気持ちはあおい固有のものだ。同じ山に登る人間であっても、そんなところから両者は異なっている。けれど一方で小春達の目標にまっすぐ進む姿勢はあおいも共感できるものだったし、山に登るのは同じだから道具や知識は共有できる。
また後半の母との登山にしても、くるみそばを食べに行こうという母の提案に当初あおいは乗り気でなかった。ひなたとの登山と母とのくるみそばはそれぞれ固有に見えて相容れなかったからだ。しかしくるみそばを食べに行けば秩父まで車で行けることに気付けば一転して両者は共有可能になり、予定のバッティングはむしろ渡りに船となった。
 

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恵「山歩き?」
あおい「一緒に行かない?」

 

好意には感謝しつつも登山部への入部は断る。乗り気でない食事を移動のための手段としてちゃっかり利用する。あおいのこれらの行動は相反しているようでその実、自分の意思をはっきり通している点で同様である。"マイペース"だと言ってもいいだろう。共感はしても譲れないものも、逆に譲れる範囲なら曲げられるものも、固有と共有の線引ができなければ見えては来ない。なまじ実利に従って判断しても、待っているのは自分をねじ曲げた(ねじ曲げられた)後悔ばかりだ。当初は人付き合いが苦手で一人での活動が趣味だったあおいはいつの間にか、こんなにもはっきり自己主張できるようになっていた。それはきっと、登山を通してフィジカルだけでなくメンタルの体力もついてきたからこそなのだろう。
 

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あおい(あと半分くらい。苦しいけど、だいたいの長さが分かってるから気は楽だな。重さもあまり気にならない。登りで慣れたからかな? これなら行けそう!)
 
マイペースを保つことは、単に肉体が頑健なだけではできない。心と体がどんなコンディションにあり、何を志向しているか把握できなければあっという間にペースは崩れ力尽きてしまう。苦しい時でもマイペースを保つためには、人はまず己が何者であるかを知らなければならないのだ。あおいが今回の前後編で自分にとっての登山とは何かの一端に触れたことはきっと、それを知るための貴重な手がかりになる。富士山に再び挑戦するための大きな土台に、高い山であってもマイペースに登るための足腰になってくれることだろう。
 

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恵「それだけ頑張れてまだ余力があるなら、次の山も大丈夫そうね」
あおい「うん!」

 

今回はあおいの体力づくりの話である。だが彼女は体だけを鍛えたわけではない。体力づくりを通して「私」を、「私の登山」を作るところにこそ、彼女の体験の真価があるのだ。
 
 

感想

というわけでヤマノススメ4期5話のレビューでした。「体力づくりは私づくり」のタイトルはポンと浮かんだのですが、山頂は見えていても微妙に登山道を見失いかけたりして結局時間を要することに。遭難怖い。
 
4期は3期までとはまた少し画風が違う部分があり前回まではちょっとひっかかりがあったのですが、全編新作だと慣れますね。話の方も相変わらず雰囲気が良くて。小春の初登場にかつてのひなたがオーバーラップしたり、登山部体験するあおいにひなた達がそれぞれ異なる形で寄り添う場面もそこにこそ彼女達が見えてきて素敵でした。ちっちゃな巨人とでも言うべき小春部長も賑やかで楽しい。
5分→15分→30分と変化を遂げた本作、これまでと違うところ、同じところの境目にその個性を見つけられたらいいな、今後が楽しみです。
 
 

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*1:この後「でも、スパルタはほどほどにしておこうかな」と続く

*2:あおいは母と一緒にいった霧ヶ峰に行ったことはあるが、その際はひなたの父が引率してくれた