2021/1/16に開かれる藤津亮太さんの講座「アニメを読む」に合わせて「機動戦士ガンダム」の劇場版を見ました。なのでこれを『「人間的」と「非人間的」を繋ぐ物語』としてレビューを書いてみたいと思います。前編は第一部に絞って。
1.視聴経験や環境
TVシリーズ:未視聴
過去に劇場版を見た経験:一度か二度
2.人間的だから非人間的
劇場版一作目「機動戦士ガンダム」で頻繁に感じられるのは「人間的なこと」と「非人間的なこと」が正反対なようでとても近いことだ。分かりやすい例は主人公アムロの父、地球連邦軍の技術士官テム・レイの態度だろう。初登場の場面、彼は良き父良き壮年としての優しさを滲ませる。
テム「ブライト君と言ったね」ブライト「はい」テム「何ヶ月になるね、軍に入って?」ブライト「6ヶ月であります」テム「ガンダムが量産されるようになれば、君のような若者が実戦に出なくとも戦争は終わろう」ブライト「(アムロの写真を見て)お子様でいらっしゃいますか」テム「ああ。こんな歳の子がゲリラ戦に出ているとの噂も聞くが本当かね?」ブライト「はい、事実だそうであります」テム「嫌だね……」
入軍して間もないブライトを気遣い、戦争の決着そのものより若者の死を嫌がるテムの態度はとても人道的、つまり「人間的」だ。ガンダムもそのために作られたものだ。しかし彼はジオンの襲撃に際して、ガンダムを運べるリフトが避難民で埋まっていると聞けばあっさり人命を切り捨てもする。
この発言だけを聞いたアムロは「父さんは人間よりモビルスーツの方が大切なんですか!」と憤慨するが、先の発言からすればテムの真意は明白だ。彼は目の前の避難民より多くの人を救わんがため、ガンダムを移動させようとしている。テムの非人道的な、つまり「非人間的」な選択は彼が人間的であることに端を発している。
人間的であることと非人間的であることは正反対の遠い関係に思えるが、実際は裏返せばすぐ届く近くにある。本作でまま見られる浅慮や酷薄さにしてもむしろ人間性故に生まれるもので、ジーンが手柄欲しさに命令に違反したり、立ち退きさせられた恨みでハヤトがアムロに避難警報を知らせなかったことなどもこの延長線上に並べられるだろう。
3.非人間的な「能力」
「人間的」「非人間的」はけして人格や行動だけに限らない。能力にも「人間的」「非人間的」は存在する。例えばモビルスーツは人型機動兵器であるからその動きは「人間的」であることが求められる。しかし一方で、モビルスーツは優れていればいるほど「非人間的」だ。操縦している人間の姿が見えないことは殺人への忌避感をごまかす言い訳になるし、超高性能機であるガンダムは銃で撃たれても倒れず、戦艦のような火力を持ち、大気圏に突入しても燃え尽きたりしない。操縦者を生存させようと、人間的でいさせようと求めた高性能がむしろ非人間性を生むのである。
そしてそんな機体に搭乗することになった主人公、アムロ・レイもまた、生きるためつまり人間的であるために能力でも人格でも非人間的になることを求められる。なにせ初陣で「ついさっきマニュアルを読んだばかりの初搭乗なのに、コロニーの空気を無くさない(人間が生きられる環境を保つ)ために敵機のコックピットだけを貫く精密な殺人を求められる」のだ。およそ人間業とは思えない、つまり「非人間的」なそれを、アムロはやってのけてしまった。
アムロが乗り込む、正規の軍人がほとんど死んでしまった地球連邦軍の艦・ホワイトベースは誰もが「人間的であるために非人間的でなければならない」修羅場だ。入軍して1年も経たないブライトが艦長を務め、民間人が操舵や戦闘に携わり基本的に単艦で行動を命じられる。まして異常な性能を持つガンダムに乗って異常な戦果を挙げざるを得ないアムロにかかる重荷たるや、潰れなかったのが不思議なほどだ。
アムロは主人公としてもっとも内面を人間的に描かれるが故に、もっとも非人間的になっていく。そして彼を取り巻く人々も人間的であるがゆえに非人間的だ。旅の中再会した母カマリアは、戦争の中生き延びるために敵兵を撃ち殺したアムロを受け入れられない。「相手にも家族がいる」「人に鉄砲を向けて撃つなんて」……その理屈があまりに人間的で人道的だから、非人間的にならなければ生き延びられなかった(人間でいられなかった)アムロには耐えられない。
人間的であればあるほど非人間的にならざるを得ず、非人間的な行為はむしろ人間性から発する。その苦悩の矛先が向かうのはしかし、けして各人の内面だけではない。ジオン公国総帥であるギレンは、弟ガルマの死に親族それぞれが悲しむ中で1人その葬儀を戦意高揚に利用する。つまり(親族だけでなくジオン兵も含めた)人間的な感情を意図的に、非人間的に悪用しているのだ。
ギレンが、ザビ家が「敵」とされるのは、人間的であるために非人間的になる苦悩を描くこの物語で、彼らが人間性を非人間的に利用する点にこそあるのだろう。
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